ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

真実?

2017-01-13 13:19:38 | 癒し
「真実の自分で生きる」「私の本質を生きる」。。。言葉は綺麗ですが、分かったような、分からないような・・・。こういった言葉の解釈は、経験を重ねる度に語彙とその選択肢が豊富になり、深みも増すものだと思います。よって、今現在の私の解釈で言うと。

(最近「真実」という単語、それを含んだセンテンスを頻繁にに目にするので、今日のトピックスにしてみました。)

記憶や習慣、蓄積したもの(常識や通念、古くからの集団意識)に捉われず、
良い悪い、正しい間違っているを裁かず、
自分の責任と自由で、行動や在りようを選択し続けること。。かと思いました。

探すものでは決してないですよね。何が真実なのか、どこに真実はあるのかと。
どちらかと言うと「真実=人間の能動的な様(さま)、無から有を創り出す機能の一つ」が近いのでしょうか。

探すものではなく、最初から一つの能力として、誰もが持っているもの。
人間としての、極めて素朴な在り様。
そして、不可能を可能にする起爆剤。

私は今まで、体力的には虚弱、精神的には現実逃避という月日を長く続けてきました。
それだから得られたものもありますし、そこに関係なく、私は見守られてきました。けれども、自分の記憶や解釈で創り出した、私が住まう世界に於いては、人は私を傷付けるもの、人間同士は争うもの、人は自分の都合を第一にするもの、が基準となっていて、自分の望みを叶えようとするなら、その状況を勝ち抜くことが手段なのだという無意識上の前提が強く大きくありました。だから、私も人を傷付け、人と争い、私の都合を第一にしてきたと、認めるのはとても悲しいことですが、今、それが理解できます。私は被害者意識がとても強いので、反面、自分の非を認めることが嫌でした。「私は悪くない!」と(子供か!!ですよね)。ここに対峙するとき、屈辱感が押し寄せてきて。。あらためて、内省の習慣を持とうと思いました。内省。本当、これ大事です。

希望と勇気。自由と元気。

それが、自分の望む未来に、自分が行くべく未来に、遠慮なく、そして責任を負ってコミットする(宣誓する、覚悟する)力を育てるエレメント。そこから何か展開できれば。。と考えています。肩に力いれずに(^^)。


今日も最後までお読み下さり、ありがとうございました。
今日も、皆さん一人ひとりが、慈しまれる一日でありますように。



最新の画像もっと見る

post a comment