半藤一利さんが死去した。彼の昭和史はとても素晴らしい本である。一番感銘を受けたのは氏の40年周期説である。日本は明治維新後40年周期で浮き沈みを経験しているという説である。以下の2019年3月9日付けロイターの記事が、この40年周期説を短くよく表現していて素晴らしい。
https://jp.reuters.com/article/opinion-kazutoshi-hando-idJPKCN1QO050
引用すると
「幕末から昭和まで、歴史を見つめてきた作家の半藤一利氏は、平成の日本は国家に目標がなく、国民も基軸を失いつつあると指摘する。日本の近現代は40年サイクルで転機が訪れてきたとし、現在の不穏な世界情勢の中、バブル崩壊から次の節目である2032年に向けてどういう国にしたいのか、新しい時代を生きて行く人たちは真剣に考えるべきだと警鐘を鳴らす。
同氏の見解は以下の通り。
日本の近現代は京都の朝廷が開国に方針転換した1865年に始まり、そこから40年周期で節目を迎えている。1905年に日露戦争に勝って列強の仲間入りをし、1945年にそれまで築き上げた大日本帝国を壊滅させた。占領の空白期を経て1952年から新しい国家の建設に乗り出し、40年かけて経済大国への階段を駆け上がった。
そしてバブルが崩壊し、現在の40年間は1992年に始まった。この史観が正しければ、次の転機は2032年に訪れる。果たして滅びの40年になるのか、それとも態勢を立て直し、新しい国造りの40年にできるのか。」
2025年には団塊の世代のほとんどが要介護になるが、希望者全員が介護施設に入れるわけではない。年取った両親を介護したことのある人ならわかるが、2021年1月の現時点でも全ての要介護の老人が介護施設に入れるわけではない。もちろん金が全ての世の中だから、金持ちは素晴らしい介護施設に入れるが。そしてこんな高齢化社会の2032年に向けて今後さらに、今よりもさらに悲惨な状況がやってくる。しかし、新自由主義で資本家の金儲け第一主義の現自民党公明党政権に、有効な高齢者対策はおろか、少子高齢化対策もない。菅総理の持論は自助、共助、公助である。年金で暮らせるわけはなく、定年までに2500万円貯めても生きていけない老後だが、自分や家族でなんとかしろ(自助)、出来ないなら地域やボランティアをあてにしろ(共助)、だが一番あてに出来ないのが公助である。せめて毎日筋トレや散歩など運動して、死ぬまで寝たきり老人にならないして子供たちに迷惑をかけないのが親の最後の務めであり責任であるとつくづく実感する今日この頃である。
https://jp.reuters.com/article/opinion-kazutoshi-hando-idJPKCN1QO050
引用すると
「幕末から昭和まで、歴史を見つめてきた作家の半藤一利氏は、平成の日本は国家に目標がなく、国民も基軸を失いつつあると指摘する。日本の近現代は40年サイクルで転機が訪れてきたとし、現在の不穏な世界情勢の中、バブル崩壊から次の節目である2032年に向けてどういう国にしたいのか、新しい時代を生きて行く人たちは真剣に考えるべきだと警鐘を鳴らす。
同氏の見解は以下の通り。
日本の近現代は京都の朝廷が開国に方針転換した1865年に始まり、そこから40年周期で節目を迎えている。1905年に日露戦争に勝って列強の仲間入りをし、1945年にそれまで築き上げた大日本帝国を壊滅させた。占領の空白期を経て1952年から新しい国家の建設に乗り出し、40年かけて経済大国への階段を駆け上がった。
そしてバブルが崩壊し、現在の40年間は1992年に始まった。この史観が正しければ、次の転機は2032年に訪れる。果たして滅びの40年になるのか、それとも態勢を立て直し、新しい国造りの40年にできるのか。」
2025年には団塊の世代のほとんどが要介護になるが、希望者全員が介護施設に入れるわけではない。年取った両親を介護したことのある人ならわかるが、2021年1月の現時点でも全ての要介護の老人が介護施設に入れるわけではない。もちろん金が全ての世の中だから、金持ちは素晴らしい介護施設に入れるが。そしてこんな高齢化社会の2032年に向けて今後さらに、今よりもさらに悲惨な状況がやってくる。しかし、新自由主義で資本家の金儲け第一主義の現自民党公明党政権に、有効な高齢者対策はおろか、少子高齢化対策もない。菅総理の持論は自助、共助、公助である。年金で暮らせるわけはなく、定年までに2500万円貯めても生きていけない老後だが、自分や家族でなんとかしろ(自助)、出来ないなら地域やボランティアをあてにしろ(共助)、だが一番あてに出来ないのが公助である。せめて毎日筋トレや散歩など運動して、死ぬまで寝たきり老人にならないして子供たちに迷惑をかけないのが親の最後の務めであり責任であるとつくづく実感する今日この頃である。