元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

私には、報道の本気度が全く見えない

2021-01-27 12:38:21 | 時事エッセイ
菅総理の官邸での記者会見の翌日の新聞で、
「会見で東京新聞は指名されませんでした。」という言い訳を読む度、何故「総理まだ質問があります。NHKのテレビ中継を含めて、このコロナウイルス感染が爆発的に拡大し医療崩壊さえ起きているこの国難の時期ですから国民が納得するまで会見を続けましょう。」と会見を終了する前に官邸記者クラブの政治記者は言えないのか。

官邸記者クラブの質疑は、国民から負託された政治部記者に許された特権ではないのか、何故国民の知る権利に代わって、その特権を活かし徹底的に疑問点を質疑応答で明確にしないのか。
何故、会見の後にはいつも予定が入っていて短い会見時間で打ち切っても、誰も文句を言わないのか。首相動静を読むと、わざわざ会見の後に入れる緊急性のある予定とは思えないし、何故一社一つの質問しか出来ないのか、何故総理の答弁が不十分だった場合に、それを再度明確にするための質問が出来ないのか、

「私には、報道の本気度が全く見えない。」
また、NHKニュースでは菅総理が明確な強いメッセージを出すことが、国民の危機意識を高め、緊急事態宣言を実効あるものにする鍵です。と連日の会見前のニュースで報道していたが、当のNHKは緊急事態宣言の初日ですら、朝からいつも通り芸人が出てきてお笑いを振りまいていた。この医療崩壊や介護崩壊などが起きている国難の時期では、大地震の災害時と同じような報道特別番組を放送し、国民の意識改革に貢献すべきではないのか。

今日のジャズは久石譲さんの「One Summer Day (from ‘Spirited Away’)」

2021-01-27 10:39:59 | ジャズ
今日のジャズは久石譲さんの「One Summer Day (from ‘Spirited Away’)」で、特にロンドン交響楽団と共演した時の録音が素晴らしい。
今のようにまだ鵠沼海岸がサーフィンのメッカではなく避暑地だった1970年代の初め私が中学一年生の頃には、今よりずっと砂丘が広がり防砂林として植えられた低木の松の木が、国道134号線と海との間にたくさん植えられていた。
その日私は、樫の木で作られた大きくて重たいロングサーフボードを、友達と二人で抱えて海へ入ろうとしていた。小さな砂丘の上に松の木をバックに白い服を着た中学生ぐらいの女の子が立ってこちらを見ていた。眩しそうに手を額に当てて太陽光線を防いでいた。二、三歩後ろにお婆さんらしき人がいる。
サーフィンをして砂浜に上がったら、少女はもういなかった。
それから何回か少女を見かけた。いつものように重いサーフボードを抱えて、すぐ近くを通った時に少女の肌は、透き通るように白かったのに気づいた。学校では、男女関係なくほぼ全員が夏になると真っ黒に日焼けする。クラブ活動や暇さえあれば海に行くからである。なぜ、この子は海に入らないのだろうと、子供ながら不思議に思っていた。
そして夏の終わりとともに、9月になったら少女はいなくなった。
当時避暑地の鵠沼海岸には、夏の間だけ、たぶん学校が夏休みの間の何日かを鵠沼海岸の別荘か、実家で過ごす少女の姿があった。(少年もいたかもしれないが、あまり興味がなかったから覚えていない)そのうちの何人かとは毎年会うが(特に近所の大屋敷に来る少女とは)、しかしその少女とは、その夏が最初で最後であった。
湘南サウンドのワイルワンズ「思い出の渚」や「バラの恋人」とか、加山雄三の「白い砂の少女」とかを聴く度に、その少女のことを思い出すが、この久石譲さんの「One Summer Day (from ‘Spirited Away’)」を聴いて彼女を思い出した。そう言えば湘南サウンドは、最近聴いてないなぁ、今夜あたりまた聴いてみよう。