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今やっている、青いアトリエの展示会場のカフェ”flaneur フラヌール”
このお店の名前の由来を、自分なりに調べたら、フランス語で”なまけもの”
”なるほど!私にぴったりだ☆”って思っていたのですが、ここのオーナーのケイさんに意味を
確認したところ、ぜんぜん違うそうです(笑)。。。
これは”遊歩者”という意味で、以下がその説明文です。
お店の名前って、ほんと沢山の思いが込められているんですね♪
彼らはいつも都市をほっつき歩くことを楽しみ、一介の通過者としての視線から
都市を眺め、刺激を受ける。
しかしそれだけでは飽きたらず、都市空間に腰を落ち着け、生活しようとする遊
歩者のために。
群衆の行き交う都市空間の細部に分け入り、歩き、体感することで、都市に郷愁
すら抱くようになるだろう。
都会を彷徨い歩くということには、習慣が必要である。彷徨い歩くことによって
都市を読解するに至り固有の場所性を抱くようになり、あるいは懐かしさを覚え
るようなオリジナルの思い出を刻んだ場所として記憶することになる。
入り組んだ路地や小道、袋小路を我が物顔でスイスイと歩き、近道をする、
そのような経験は一介の通過者にはできない。習慣が必要である。
都市は人々の活動が持つ多様な側面に関わる複雑で多層的な空間であり、その中
では登場人物は入れ替わり立ち替わり絶えず変化し続け、同時に背景も変化を続
けている。
すべては流動的で、とりつく島も見あたらないが、都市には様々な人やものや可
能性が漂っている。
人が人を呼び、ものが人を呼び、人が可能性を呼び・・・
生活の場として都市を選択した人々
整然と区画整備されたまちに、所狭しと地上に棲息する。細い路地が縦横にはしる。
都市の空隙をテキスタイルのように這いめぐり、ネットワークとなり、コミュニ
ケーションが生まれる。
〈カフェ〉は、飲食店というより、一種の社交場。人々はコーヒー一杯で、新聞
を読んだり、仲間とボードゲームに興じたり・・・
誰でも自由に出入り出来る、街路に向かって開かれた書斎か客間のようなもの。
きらきらと光る看板は、市民にとっての客間の油絵、壁の装飾なのであり、家の
壁が書斎の机であって、かれはかれのメモ帳をそこに押しあてる。
新聞売りの屋台がかれの書庫、喫茶店のテラスがかれの出窓・・・
遊歩者:フラヌール
都市の刺激に身を晒し、その刺激(ショック)に耐えながらも
それを楽しんでいる都市生活者
【ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論」より】
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※この絵は、フラヌールのお店の意味をお聞きしてから、この展示用に描いたものです。