◎イスラーム 12(五行 1)
●五行
・五行はムスリムであるための信仰行為としての5つの義務である(5柱ともいう)
1、信仰告白
2、礼拝
3、喜捨
4、断食
5、巡礼
1、信仰告白(シャハーダ)
○信仰告白は2つの部分からなる
第1のシャハーダは「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に神はなし)と私は証言する」
第2のシャハーダは「ムハンマド・ラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒である)と私は証言する」
○第1の証言は、神の実在を受け入れることであり、神の唯一性を信ずることである
多神教を信じることは罪であるとみなされる
○第2の証言は、預言者ムハンマドが神に「服従する者」であることを認めることで、神への服従を認めるものである
・クルアーンを神の言葉と認めることによって、イスラームを受け入れることである
ムハンマドは神ではなく、人間である
言って聞かせるがよい。「わし(ムハンマド)はお前がたと同じただの人間にすぎぬ。お前がたの神は唯一なる神とのお告げをわしは受けておる。…」(クルアーン 18章110節)
・キリスト教においてはイエスは神であるとするが、イスラームではイエスは人間(預言者)であるとする
イエスが神であるとすると、神が2つになってしまい、一神教の立場と矛盾する
ゆえに、イスラームの言い分のほうが理にかなっている
○映画「マトリックス」に「トリニティ(Trinity)」という女性が登場するが、「Trinity」の意味は「三位一体」であり、主人公のネオ(Neo)は「救世主」として覚醒する
Neoの文字を並べ替えるとone 「the one」は「唯一の」の意味
●入信儀礼
・ムスリムになる入信の儀式は、証人である2人の男性ムスリムの前で2つのシャハーダをアラビア語で唱える
一般的にはウラマー(法学者)が立ち合う
入信する女性は、肌をおおう服装をしてベールをかぶっていることが求められる
入信する際の経費は不要である
入信後、一般には6信と五行の遵守を誓わせる(「6信と五行」は段階的にやっていけばいいとのことである)
この後、シャハーダ書に証人2人が署名する
○男性ムスリムは、1神教(ユダヤ教、キリスト教)の女性が相手であれば結婚できる
結婚した女性は、イスラームに改宗することは強制されないが、現実には改宗せざるをえない
生まれてくる子供は、必然的にムスリムとなる
●「棄教」は許されるか?
ムスリムになったら、棄教(ムスリムが公然とイスラームを放棄または否定すること)は許されない
ムスリムがイスラームから離れることは、神に対する最大の冒涜とされる
入信は簡単であるが、いったん入信したら、やめることは許されない
ムスリムになるのは、相当な覚悟が必要である(「イスラム教徒への99の大疑問」佐々木良昭、プレジデント社)
「棄教」はイスラーム刑法上の刑罰の対象とされ、その場合の刑は通常は死刑であるが、ハナフィー学派は女性については終身禁固刑とする
いずれもイスラームに復帰した場合は解除される
もっとも、これは、背教がそれほど重い罪であることを示すだけで、実際に執行された事例は歴史的にも限られている
イスラームは他宗教には寛容で、それぞれの信仰の自由を保障しているが、自己の共同体からの離脱に関しては不寛容な立場をとっている
しかし近現代では、信教の自由を制限するものとして、西洋などから批判されている(「岩波イスラーム辞典」)
●宗教的な寛容
○かつてはアラブの征服軍は「右手に剣、左手にコーラン」の二者択一を迫ったと言われていたが、これはキリスト教側が言ったいいがかりである
ムスリムは武力や暴力で異教徒に改宗を強制したことはない
クルアーンには「宗教には無理強いということが禁もつ」(2章257節)とあり、改宗を強制することは、クルアーンの教えに反する
実際は、アラブの征服に対しては、
1 イスラームに改宗する、か
2 人頭税を支払って従来通りの信仰を保持する、か
3 1、2を拒否してあくまで戦う、か
の3通りがあった(「世界の歴史8」佐藤次高、中公文庫)
逆に、暴力で改宗を迫り異教徒を殺害してきたのは、キリスト教徒のほうである
たとえば、1099年7月15日、西洋人フランク(第1回十字軍)がエルサレムを占領し、女性や子供を含む多数の(7万人ともいう)ムスリムやユダヤ教徒を虐殺した
キリスト教徒は、異教徒に対しては「愛」などないということである
スンナ派のセルジューク朝支配下のエルサレムでは、キリスト教やユダヤ教の信仰はみとめられ、安全は保障されていた
エルサレムの旧市街は大きくムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区の4つに分かれている
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム共通の聖地で、当時は宗教の違いはあっても、平和的に共存していただろう
キリスト教の聖地も、ユダヤ教の聖地も保護されていたし、ムスリムからの迫害もされていなかった
当時は、西洋よりアラブ世界のほうが、はるかに高度な文明をもっていた
それを理不尽にも、野蛮人の十字軍が一方的に攻撃し侵略した
●五行
・五行はムスリムであるための信仰行為としての5つの義務である(5柱ともいう)
1、信仰告白
2、礼拝
3、喜捨
4、断食
5、巡礼
1、信仰告白(シャハーダ)
○信仰告白は2つの部分からなる
第1のシャハーダは「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に神はなし)と私は証言する」
第2のシャハーダは「ムハンマド・ラスールッラー(ムハンマドはアッラーの使徒である)と私は証言する」
○第1の証言は、神の実在を受け入れることであり、神の唯一性を信ずることである
多神教を信じることは罪であるとみなされる
○第2の証言は、預言者ムハンマドが神に「服従する者」であることを認めることで、神への服従を認めるものである
・クルアーンを神の言葉と認めることによって、イスラームを受け入れることである
ムハンマドは神ではなく、人間である
言って聞かせるがよい。「わし(ムハンマド)はお前がたと同じただの人間にすぎぬ。お前がたの神は唯一なる神とのお告げをわしは受けておる。…」(クルアーン 18章110節)
・キリスト教においてはイエスは神であるとするが、イスラームではイエスは人間(預言者)であるとする
イエスが神であるとすると、神が2つになってしまい、一神教の立場と矛盾する
ゆえに、イスラームの言い分のほうが理にかなっている
○映画「マトリックス」に「トリニティ(Trinity)」という女性が登場するが、「Trinity」の意味は「三位一体」であり、主人公のネオ(Neo)は「救世主」として覚醒する
Neoの文字を並べ替えるとone 「the one」は「唯一の」の意味
●入信儀礼
・ムスリムになる入信の儀式は、証人である2人の男性ムスリムの前で2つのシャハーダをアラビア語で唱える
一般的にはウラマー(法学者)が立ち合う
入信する女性は、肌をおおう服装をしてベールをかぶっていることが求められる
入信する際の経費は不要である
入信後、一般には6信と五行の遵守を誓わせる(「6信と五行」は段階的にやっていけばいいとのことである)
この後、シャハーダ書に証人2人が署名する
○男性ムスリムは、1神教(ユダヤ教、キリスト教)の女性が相手であれば結婚できる
結婚した女性は、イスラームに改宗することは強制されないが、現実には改宗せざるをえない
生まれてくる子供は、必然的にムスリムとなる
●「棄教」は許されるか?
ムスリムになったら、棄教(ムスリムが公然とイスラームを放棄または否定すること)は許されない
ムスリムがイスラームから離れることは、神に対する最大の冒涜とされる
入信は簡単であるが、いったん入信したら、やめることは許されない
ムスリムになるのは、相当な覚悟が必要である(「イスラム教徒への99の大疑問」佐々木良昭、プレジデント社)
「棄教」はイスラーム刑法上の刑罰の対象とされ、その場合の刑は通常は死刑であるが、ハナフィー学派は女性については終身禁固刑とする
いずれもイスラームに復帰した場合は解除される
もっとも、これは、背教がそれほど重い罪であることを示すだけで、実際に執行された事例は歴史的にも限られている
イスラームは他宗教には寛容で、それぞれの信仰の自由を保障しているが、自己の共同体からの離脱に関しては不寛容な立場をとっている
しかし近現代では、信教の自由を制限するものとして、西洋などから批判されている(「岩波イスラーム辞典」)
●宗教的な寛容
○かつてはアラブの征服軍は「右手に剣、左手にコーラン」の二者択一を迫ったと言われていたが、これはキリスト教側が言ったいいがかりである
ムスリムは武力や暴力で異教徒に改宗を強制したことはない
クルアーンには「宗教には無理強いということが禁もつ」(2章257節)とあり、改宗を強制することは、クルアーンの教えに反する
実際は、アラブの征服に対しては、
1 イスラームに改宗する、か
2 人頭税を支払って従来通りの信仰を保持する、か
3 1、2を拒否してあくまで戦う、か
の3通りがあった(「世界の歴史8」佐藤次高、中公文庫)
逆に、暴力で改宗を迫り異教徒を殺害してきたのは、キリスト教徒のほうである
たとえば、1099年7月15日、西洋人フランク(第1回十字軍)がエルサレムを占領し、女性や子供を含む多数の(7万人ともいう)ムスリムやユダヤ教徒を虐殺した
キリスト教徒は、異教徒に対しては「愛」などないということである
スンナ派のセルジューク朝支配下のエルサレムでは、キリスト教やユダヤ教の信仰はみとめられ、安全は保障されていた
エルサレムの旧市街は大きくムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区の4つに分かれている
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム共通の聖地で、当時は宗教の違いはあっても、平和的に共存していただろう
キリスト教の聖地も、ユダヤ教の聖地も保護されていたし、ムスリムからの迫害もされていなかった
当時は、西洋よりアラブ世界のほうが、はるかに高度な文明をもっていた
それを理不尽にも、野蛮人の十字軍が一方的に攻撃し侵略した