◎イスラーム 23 アラビア科学 1
●以下、「アラビア科学」の項目の内容は、おもに
「近代科学の源流」伊東俊太郎、中公文庫
「十二世紀ルネサンス」伊東俊太郎、講談社学術文庫
「アラビア科学の話」矢島祐利、岩波新書
「アラビア科学史序説」矢島祐利、岩波書店
「アラビア科学の歴史」ダニエル・ジャカール、創元社
「科学の真理は永遠に不変なのだろうか」ベレ出版
「アラビア文化の遺産」ジクリト・フンケ、みすず書房
「イスラームの歴史 1」ジョン・エスポジト、共同通信社
「古代中世 科学文化史 Ⅰ」G・サートン、岩波書店
「古代中世 科学文化史 Ⅱ」G・サートン、岩波書店
などによります
★アラビア科学(イスラーム科学)
○8世紀後半から15世紀にかけて、イスラーム地域(イラク、イラン、シリア、エジプトからスペインにわたる)においてアラビア語で文化活動をした人びとの科学
○アラビア科学は、ギリシア、ペルシア、インドなどの科学を統合し、発展させて、当時世界最高水準の科学を築き上げ、12世紀以降ラテン語訳されて近代西欧科学の知的基盤をつくった
●アラビア科学の意味
○アラビア科学はアラビア語による科学とは限定されない
大部分はアラビア語で書かれていたが、ペルシア語(イラン人)、ヘブライ語(ユダヤ人)シリア語(ギリシア人)で書かれた科学書も含まれる
○アラビア科学はアラビア人の科学ということを意味しない
アラビア科学を築き上げた人びとは、ムスリムのみではなく、ネストリウス派のキリスト教徒、ユダヤ教徒、サービア教徒などもいる
科学の表現と伝達の共通語としてアラビア語をもちいた
●アラビア科学は中世の科学であり、中世は暗黒時代ではない
○ギリシア語テキストが今日失われているのに、アラビア語訳で保存されているものがある
○アラビア科学はギリシアの科学を伝えただけではなく、数学、化学、天文学、医学などさらに発展させた分野もある
★古代ギリシアからアラビア科学への流れ
◎概略
1 ギリシアの科学(前6世紀頃~2世紀頃)
2 シリア・ヘレニズム(5世紀~7世紀)
アラビア科学
3 アラビア・ルネサンス(アッバース朝期 8世紀後半~9世紀)
4 全イスラーム期(10世紀~11世紀)
5 12世紀ルネサンス(12世紀における古典復興)(12世紀)
アンダルス・モンゴル期(12世紀~15世紀前半)
1 ギリシアの科学
第1段階 植民期の科学(前6世紀頃~前5世紀)
ギリシアの植民地(イオニア地方(アナトリア半島)や、ミレトス(アナトリア半島)、エレア(南イタリア)など)で起こった科学
タレス、アナクシマンドロス、パルメニデス、ピュタゴラス、デモクリトスなど
第2段階 アテナイ期の科学(前4世紀頃)
ギリシア本土のアテナイが中心
アナクサゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど
第3段階 ヘレニズム期の科学(前3世紀頃~2世紀頃)
科学研究の中心が古代エジプトのプトレマイオス朝(前306年~前30年)の首都アレクサンドリアに移る
アレクサンドリアにアレクサンドリア図書館があった
エウクレイデス、アルキメデス、アポロニオス、プトレマイオスなど
○アレクサンドロス大王時代(紀元前356年~紀元前323年)
○アレクサンドロス大王死後、ローマ帝国(紀元前27年~1453年)とペルシア帝国の2つの帝国の支配が続いた
○ローマ帝国の分裂(395年)
395年1月17日、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世がミラノで死亡し、
東部帝国(東ローマ帝国)は、長男アルカディウスに、西部帝国(西ローマ帝国)は、次男ホノリウスに与えられた
476年9月、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストュルスを廃位し、西ローマ帝国が滅亡した
東ローマ帝国は、1453年に滅亡するまで長く続き、ビザンチウムを都としたのでビザンチウム帝国(ビザンティン帝国)ともいわれる
・ギリシア系統の学術は、ビザンティン帝国(ビザンティン文明圏)に引き継がれ、ギリシアの学術の良質の部分はローマには入らなかった
2 シリア・ヘレニズム(5世紀~7世紀)
ビザンティン文明圏からシリア語訳されてシリア文明圏へ
・ビザンティン帝国のギリシア正教会を追われたネストリウス派のキリスト教徒の手によってギリシア科学書のシリア語訳がつくられた
○661年にウマイヤ朝が始まる
○750年にアッバース朝が始まる
3 アラビア・ルネサンス(アッバース朝期 8世紀後半~9世紀)
●シリア・ヘレニズムを前提としてアラビア科学が成立した
バグダードを中心に翻訳活動(シリア語、ギリシア語からアラビア語へ)が本格化した
シリア文明圏からアラビア語訳されてアラビア文明圏へ
さらには、直接、ギリシア語学術文献がアラビア語訳される
ペルシア、インド、シリア、エジプトから多くの学者がバグダードに集まった
アッバース朝のカリフたちが学問を奨励し、科学研究が盛んとなる
アラビア科学が受けついだギリシア科学は、アテナイ期の科学ではなく、それよりいっそう進んだアレクサンドリアの科学(ヘレニズム期の科学)である(エウクレイデス、アルキメデス、アポロニオス、プトレマイオスなどに代表される)
4 全イスラーム期(10世紀~11世紀)
東のアッバース朝、サーマーン朝(873年~999年)、ガズナ朝(955年/977年~1187年)、西の後ウマイヤ朝(756年~1031年)、中央部のファーティマ朝(909年~1171年)などの王朝下で、バグダード、コルドバ、カイロなどのイスラーム各地域においてアラビア科学の黄金時代をつくりあげた
中心は、バクダード、イスファハン、コルドバ(アンダルシア王国)、カイロ
5 12世紀ルネサンス(12世紀における古典復興)(12世紀)
アンダルス・モンゴル期(12世紀~15世紀前半)
アラビア文明圏からラテン語訳されて西欧文明圏へ
12世紀にアラビア語訳されたギリシア科学書のラテン語訳が始まる
・西欧ラテン世界は、12世紀にビザンツ帝国やイスラーム世界との接触を通して、古代ギリシア文化や当時先進の学術を開花していたイスラーム文化を吸収し、後の西欧近代科学技術の土台を築いた
アンダルス、北アフリカ、中央アジアなどのイスラーム世界でも依然発展を続ける
中心はコルドバ、グラナダ、マラーケシュ、マラーガ、サマルカンド
この時代は、
ギリシア学術文献のアラビア語経由ラテン語訳、
ギリシア語原典からの直接のラテン語訳、
アラビア学術文献のラテン語訳
という翻訳の時代だった
●ルネサンス(イタリア・ルネサンス)
・フランス語で「再生」、文芸復興のこと
とくに、14-16世紀、イタリアを中心にヨーロッパで起こった文化の革新運動をいう
●以下、「アラビア科学」の項目の内容は、おもに
「近代科学の源流」伊東俊太郎、中公文庫
「十二世紀ルネサンス」伊東俊太郎、講談社学術文庫
「アラビア科学の話」矢島祐利、岩波新書
「アラビア科学史序説」矢島祐利、岩波書店
「アラビア科学の歴史」ダニエル・ジャカール、創元社
「科学の真理は永遠に不変なのだろうか」ベレ出版
「アラビア文化の遺産」ジクリト・フンケ、みすず書房
「イスラームの歴史 1」ジョン・エスポジト、共同通信社
「古代中世 科学文化史 Ⅰ」G・サートン、岩波書店
「古代中世 科学文化史 Ⅱ」G・サートン、岩波書店
などによります
★アラビア科学(イスラーム科学)
○8世紀後半から15世紀にかけて、イスラーム地域(イラク、イラン、シリア、エジプトからスペインにわたる)においてアラビア語で文化活動をした人びとの科学
○アラビア科学は、ギリシア、ペルシア、インドなどの科学を統合し、発展させて、当時世界最高水準の科学を築き上げ、12世紀以降ラテン語訳されて近代西欧科学の知的基盤をつくった
●アラビア科学の意味
○アラビア科学はアラビア語による科学とは限定されない
大部分はアラビア語で書かれていたが、ペルシア語(イラン人)、ヘブライ語(ユダヤ人)シリア語(ギリシア人)で書かれた科学書も含まれる
○アラビア科学はアラビア人の科学ということを意味しない
アラビア科学を築き上げた人びとは、ムスリムのみではなく、ネストリウス派のキリスト教徒、ユダヤ教徒、サービア教徒などもいる
科学の表現と伝達の共通語としてアラビア語をもちいた
●アラビア科学は中世の科学であり、中世は暗黒時代ではない
○ギリシア語テキストが今日失われているのに、アラビア語訳で保存されているものがある
○アラビア科学はギリシアの科学を伝えただけではなく、数学、化学、天文学、医学などさらに発展させた分野もある
★古代ギリシアからアラビア科学への流れ
◎概略
1 ギリシアの科学(前6世紀頃~2世紀頃)
2 シリア・ヘレニズム(5世紀~7世紀)
アラビア科学
3 アラビア・ルネサンス(アッバース朝期 8世紀後半~9世紀)
4 全イスラーム期(10世紀~11世紀)
5 12世紀ルネサンス(12世紀における古典復興)(12世紀)
アンダルス・モンゴル期(12世紀~15世紀前半)
1 ギリシアの科学
第1段階 植民期の科学(前6世紀頃~前5世紀)
ギリシアの植民地(イオニア地方(アナトリア半島)や、ミレトス(アナトリア半島)、エレア(南イタリア)など)で起こった科学
タレス、アナクシマンドロス、パルメニデス、ピュタゴラス、デモクリトスなど
第2段階 アテナイ期の科学(前4世紀頃)
ギリシア本土のアテナイが中心
アナクサゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど
第3段階 ヘレニズム期の科学(前3世紀頃~2世紀頃)
科学研究の中心が古代エジプトのプトレマイオス朝(前306年~前30年)の首都アレクサンドリアに移る
アレクサンドリアにアレクサンドリア図書館があった
エウクレイデス、アルキメデス、アポロニオス、プトレマイオスなど
○アレクサンドロス大王時代(紀元前356年~紀元前323年)
○アレクサンドロス大王死後、ローマ帝国(紀元前27年~1453年)とペルシア帝国の2つの帝国の支配が続いた
○ローマ帝国の分裂(395年)
395年1月17日、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世がミラノで死亡し、
東部帝国(東ローマ帝国)は、長男アルカディウスに、西部帝国(西ローマ帝国)は、次男ホノリウスに与えられた
476年9月、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストュルスを廃位し、西ローマ帝国が滅亡した
東ローマ帝国は、1453年に滅亡するまで長く続き、ビザンチウムを都としたのでビザンチウム帝国(ビザンティン帝国)ともいわれる
・ギリシア系統の学術は、ビザンティン帝国(ビザンティン文明圏)に引き継がれ、ギリシアの学術の良質の部分はローマには入らなかった
2 シリア・ヘレニズム(5世紀~7世紀)
ビザンティン文明圏からシリア語訳されてシリア文明圏へ
・ビザンティン帝国のギリシア正教会を追われたネストリウス派のキリスト教徒の手によってギリシア科学書のシリア語訳がつくられた
○661年にウマイヤ朝が始まる
○750年にアッバース朝が始まる
3 アラビア・ルネサンス(アッバース朝期 8世紀後半~9世紀)
●シリア・ヘレニズムを前提としてアラビア科学が成立した
バグダードを中心に翻訳活動(シリア語、ギリシア語からアラビア語へ)が本格化した
シリア文明圏からアラビア語訳されてアラビア文明圏へ
さらには、直接、ギリシア語学術文献がアラビア語訳される
ペルシア、インド、シリア、エジプトから多くの学者がバグダードに集まった
アッバース朝のカリフたちが学問を奨励し、科学研究が盛んとなる
アラビア科学が受けついだギリシア科学は、アテナイ期の科学ではなく、それよりいっそう進んだアレクサンドリアの科学(ヘレニズム期の科学)である(エウクレイデス、アルキメデス、アポロニオス、プトレマイオスなどに代表される)
4 全イスラーム期(10世紀~11世紀)
東のアッバース朝、サーマーン朝(873年~999年)、ガズナ朝(955年/977年~1187年)、西の後ウマイヤ朝(756年~1031年)、中央部のファーティマ朝(909年~1171年)などの王朝下で、バグダード、コルドバ、カイロなどのイスラーム各地域においてアラビア科学の黄金時代をつくりあげた
中心は、バクダード、イスファハン、コルドバ(アンダルシア王国)、カイロ
5 12世紀ルネサンス(12世紀における古典復興)(12世紀)
アンダルス・モンゴル期(12世紀~15世紀前半)
アラビア文明圏からラテン語訳されて西欧文明圏へ
12世紀にアラビア語訳されたギリシア科学書のラテン語訳が始まる
・西欧ラテン世界は、12世紀にビザンツ帝国やイスラーム世界との接触を通して、古代ギリシア文化や当時先進の学術を開花していたイスラーム文化を吸収し、後の西欧近代科学技術の土台を築いた
アンダルス、北アフリカ、中央アジアなどのイスラーム世界でも依然発展を続ける
中心はコルドバ、グラナダ、マラーケシュ、マラーガ、サマルカンド
この時代は、
ギリシア学術文献のアラビア語経由ラテン語訳、
ギリシア語原典からの直接のラテン語訳、
アラビア学術文献のラテン語訳
という翻訳の時代だった
●ルネサンス(イタリア・ルネサンス)
・フランス語で「再生」、文芸復興のこと
とくに、14-16世紀、イタリアを中心にヨーロッパで起こった文化の革新運動をいう