2016.1.3 「百年の計、我にあり~知られざる明治維新リーダー伝~」
この辺の人だったらなんとなく聞いたことはあるような広瀬宰平と伊庭貞剛と別子のお山の人たちの近代化のドラマ…と言っても民放でするって、テーマが地味すぎないか…どうなるのと期待半分、心配半分で録画の途中で追いかけ視聴をし始めた。
お山で銅が産出したおかげで麓の町は潤って、また、会社を上げて道などのインフラを整備してくれたりしたので、いまだに工場街としてやっていけている…というくらいしか知らなかったのだけど
鉱山の近代化…昔は標高1200メートルから、精錬所まで人力で(男性45キロ・女性30キロ…信じられない!)担いでいたところから鉄道を敷設して降ろすようにした…いやいや、明治の昔に1200メートルの標高を索道使ったとしてもえらいことでしょうよ!と実感してたまげる。
坑道にも、手掘りからトロッコを敷設して、鉱脈をくまなく掘り進められるようにして、最終的には地下2000メートル(!?)まで掘り進められているらしい。
山の中にひとつの町というか要塞があったようだという昔話は聞いたことがあったのだけれど、島にも一つの町を作っていたようだ。…全国的に有名な軍艦島の現役時代のようなものが、あの山の中や島にあったのだろうか…ここの跡は廃墟で、東洋のマチュピチュと呼ばれて観に来る人もいるらしいけれど、全国にもほかにこんなところがあるのだろうか?と気になる。
広瀬宰平翁のお雇い外国人に近代化計画を設計させて実施は日本人でしよう…というあきんどとしてのしたたかさと、国の力を強めないとという信念がないまぜになったシーンと、お山から銅が産出できなくなった時のために…という部下の進言を激怒して押し戻す…銅山の申し子と呼ばれた、ご自身がお山そのもののように思っていらしたようなシーンが人間的でとても印象的だった
後継者の伊庭貞剛氏の煙害を収めようというお話では、聞いたことはあったけれど、あっさりと解決したみたいに思っていたけれど、十年単位の長期にわたる尽力によることを知った。また、植林をしてくれたおかげで今の山の姿でいるのだろうなとこれも初めて知って、そうだったのか…。と絶句する。
二人がくつろぐシーンでは鮒ずしをうまいねとつまむのがお約束のようになっていて、…あ、近江の人か。お商売相手だけでなくまわりもよくしてこそお商売といったような気風があると聞いたことがあるので、ここで、その精華が結実したのかなあ…などと考えが脇道にそれる。…それにつけても鮒ずしっておいしいのかしらん。気になって仕方ない。
そんなこんなで地元民…少なくとも私得なドラマだったけれど、関係ない人たちも楽しめたんだろか?
追記・最初のほうを見ていると、小学3、4年のとき社会の中で、地元の事について学んでいた時、先生が「あそこの馬の鞍みたいに見える峰が別子銅山じゃ」と、いうものの、先生、どれも馬の鞍みたいに見えます~と聞けずじまいで、結局、どの山がそうなのかはいまだに分かっていない…この学習の一環で山根精練所周りに見学に行ったことを思い出し、そうだ。あそこの大山積神社にお参りに行こう!と視るのをいったん止めて、山根に向かった。
麓のグラウンドには行く用はあっても、ここへは社会見学以来だわ。お社横の記念館の屋根一面につつじが植えているのを見て花の時期に行ったらとっても気分がいいだろうな。と思う。
子供のころは気がつかなかったけれど、道の近くにもかかわらず山懐に抱かれた静かで厳かなお社で、お参りすると襟を正す思いになる。
帰りの石段で先生が「なんだ銅か、と思うかも知れんけどの、電線には銅を使っているんぞ、なかったら困るんじゃけんの」と言っていたのも思い出して、しみじみする。
日が短いうちに公開している広瀬宰平翁の邸宅に行って町が一望できる二階で夜景を観よう。
もしも、今の町の夜景を観たら宰平翁もさぞかし驚嘆なさることだろうなと思う。
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