幕末の歴史小説は何冊か読んだことがありますが、舞台が江戸の、しかも商人が主役の小説は珍しいでしょう?
ボクは江戸の商人が主役の小説は、はじめて読みましたが、これがなかなか面白い!
みなさん、ハローです。ホディです。
少しずつですが、読書のペースが良くなってきました。
今週は、『男に生まれて 江戸鰹節商い始末』を通勤時間を中心に読み終えました。
内容は、時代は幕末、江戸の鰹節商をはじめとした日本橋の人々が、江戸幕府が没落していく動乱期にいかに生きたかを書いたものです。いわゆる江戸っ子の生き方といいますか、人情の伝わってくる話ですね~
歴史的事実は良く知りませんが、この小説の中では歴史を動かした中心人物の中でも、小栗上野介の動きを中心に、勝海舟や山岡鉄太郎、そして西郷吉之助などが出てきて時代の流れも表現されています。
江戸が日本人同士の戦争により焼け野原になる可能性もあった動乱期の中で、武士ではなく商人が江戸を守り、そして自分たちの店と家を守った。題名は「男に生まれて」とあり、いかにも武士の話のようだが、実際は日本橋老舗の大店(鰹節商「にんべん」)に婿入りして店主となった主人公が、奥さんに叱咤激励されながら、江戸っ子の意地を見せる。今の時代にもつながるような商売の話でもあります。
※江戸の商家は完全な世襲だと思っていましたが、生き残るために婿養子を取ったり、優秀な番頭さんを雇ったりといろいろやっているんですね。
筆者のこの本の謝辞から引用すると、
平成不況が叫ばれる昨今だが、ご先祖たちは今よりも数倍厳しい変動を生き抜いてきた。わたしたち子孫だって負けやしない。
いろいろしみじみとくる場面がありますが、その中でもボクの印象に残っているのは、
にんべん三代目(ちなみにこの小説の主人公は八代目)が、この本の舞台の九十年ほど前に脳溢血に襲われながら、死の淵で書き残した遺書「無言語」・・・
人も店も、代々栄えつづけることがあるであろうか、
家が亡びぬよう心を砕くなど、大愚の至りである。
財を成せば成すほど、店の者や子孫に怠惰を許すだけのこと。
足るを知るには、財を貧者に施し、遣り尽くして利欲を去ればよい。
我は長年精進しすぎ、店を盛り立ててきた結果、
我は道に横たわる貧者の傍を通り過ぎ、
手代どもは我に言われぬと銭の数すら確かめようとはしなくなった。
八代目は、この教えは身にしみたが、反発もある。
無闇に施すことのほうが、かえって怠惰のそしりを逃れられぬ・・・子孫の怠惰・・・
ただ、この疑いに対し、三代目はこう語る・・・
人が自然に生きる場合、暑くなれば衣を脱ぎ、寒ければ着こむのが道理。
しかし、衣を誇って美服を着れば着るほど命を縮めてしまうものである。
大いに娯しんでも、生は損じ、大いに労しても、生は尽きる。
我が身死するとき、悲しんでくれる家族と友人がいて、
手づくりの弔いを出してもらえることよりも幸福なことはない。
そのどこに必要以上の財がいるだろうか。
財を捨てる意味を知って、我は生を尽くしたいと思う。
八代目は思う。内容は深く、難しい。
そしてボクも思う。内容は深く、難しい。
財のないボクには理解できないのか?
将来の財に執着しないとすれば、今ある財を捨てることと同じと言えるのだろうか?
でも、「生を尽くすために必要なのは財ではない。」と確信する。
何なのか?
やっぱり「時」なのか?
昨日と同じ悩みで今日も終える。。。
※最後にひとつ言える事は、この本、お勧め!
ボクは江戸の商人が主役の小説は、はじめて読みましたが、これがなかなか面白い!
みなさん、ハローです。ホディです。
少しずつですが、読書のペースが良くなってきました。
今週は、『男に生まれて 江戸鰹節商い始末』を通勤時間を中心に読み終えました。
内容は、時代は幕末、江戸の鰹節商をはじめとした日本橋の人々が、江戸幕府が没落していく動乱期にいかに生きたかを書いたものです。いわゆる江戸っ子の生き方といいますか、人情の伝わってくる話ですね~
歴史的事実は良く知りませんが、この小説の中では歴史を動かした中心人物の中でも、小栗上野介の動きを中心に、勝海舟や山岡鉄太郎、そして西郷吉之助などが出てきて時代の流れも表現されています。
江戸が日本人同士の戦争により焼け野原になる可能性もあった動乱期の中で、武士ではなく商人が江戸を守り、そして自分たちの店と家を守った。題名は「男に生まれて」とあり、いかにも武士の話のようだが、実際は日本橋老舗の大店(鰹節商「にんべん」)に婿入りして店主となった主人公が、奥さんに叱咤激励されながら、江戸っ子の意地を見せる。今の時代にもつながるような商売の話でもあります。
※江戸の商家は完全な世襲だと思っていましたが、生き残るために婿養子を取ったり、優秀な番頭さんを雇ったりといろいろやっているんですね。
筆者のこの本の謝辞から引用すると、
平成不況が叫ばれる昨今だが、ご先祖たちは今よりも数倍厳しい変動を生き抜いてきた。わたしたち子孫だって負けやしない。
いろいろしみじみとくる場面がありますが、その中でもボクの印象に残っているのは、
にんべん三代目(ちなみにこの小説の主人公は八代目)が、この本の舞台の九十年ほど前に脳溢血に襲われながら、死の淵で書き残した遺書「無言語」・・・
人も店も、代々栄えつづけることがあるであろうか、
家が亡びぬよう心を砕くなど、大愚の至りである。
財を成せば成すほど、店の者や子孫に怠惰を許すだけのこと。
足るを知るには、財を貧者に施し、遣り尽くして利欲を去ればよい。
我は長年精進しすぎ、店を盛り立ててきた結果、
我は道に横たわる貧者の傍を通り過ぎ、
手代どもは我に言われぬと銭の数すら確かめようとはしなくなった。
八代目は、この教えは身にしみたが、反発もある。
無闇に施すことのほうが、かえって怠惰のそしりを逃れられぬ・・・子孫の怠惰・・・
ただ、この疑いに対し、三代目はこう語る・・・
人が自然に生きる場合、暑くなれば衣を脱ぎ、寒ければ着こむのが道理。
しかし、衣を誇って美服を着れば着るほど命を縮めてしまうものである。
大いに娯しんでも、生は損じ、大いに労しても、生は尽きる。
我が身死するとき、悲しんでくれる家族と友人がいて、
手づくりの弔いを出してもらえることよりも幸福なことはない。
そのどこに必要以上の財がいるだろうか。
財を捨てる意味を知って、我は生を尽くしたいと思う。
八代目は思う。内容は深く、難しい。
そしてボクも思う。内容は深く、難しい。
財のないボクには理解できないのか?
将来の財に執着しないとすれば、今ある財を捨てることと同じと言えるのだろうか?
でも、「生を尽くすために必要なのは財ではない。」と確信する。
何なのか?
やっぱり「時」なのか?
昨日と同じ悩みで今日も終える。。。
※最後にひとつ言える事は、この本、お勧め!
本と映画は人生のビタミンでしょうかねえ。
コメントありがとうございます。
本からは多くのことを学び、忘れそうになっていた多くのことを思い出させてくれます。「人生のビタミン」ってうまい表現ですね!
同意です。
(^v^)