昨日(8/2)の3面にわたる全面広告、CSRの特集が掲載されていました。
CSRとは、Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任のこと。
日経新聞が主催している「日経CSRプロジェクト」の一環として特集でした。
みなさん、ハローです。ホディです。
CSRと言えば、“慈善事業などの特別な取り組み”について触れられることが多いのですが、「人」を中心とした観点から今回の特集は書かれていました。今回の特集の言葉を借りれば、“CSRは本業の現場で働く人々が日ごろから「社会」を意識し、仕事を通じて自ら貢献していこうとする思いによって実現されるものだ。”やはり本業で社会貢献してこそのCSR。いろいろな企業のCSRの取り組みをもちろん否定するものではありませんが、ボクも顧客から吸い上げたお金を特別な取り組みで一部還元することだけで罪滅ぼしとはならないと考えています。
この特集でも「CSRの本質」に迫ってみたいと書かれていますが、そもそもCSRって?企業の社会的責任って何なんでしょうね?
難しいですね~
さて、昨日の特集、東京大学の高橋伸夫教授がなかなか面白い切り口で書かれていました。
高橋教授と言えば、『虚妄の成果主義』。
成果主義万歳の世の中の流れの中で、成果主義を批判されています。
この特集の冒頭でも、
私が拙著『虚妄の成果主義』(日経BP社)で批判している「成果主義」とは、
①できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め、
②成果のようなものに連動した賃金体系で動機づけを図ろうとする
すべての考え方である。
①②のどちらか一つでも満たせば、私が批判している成果主義であり、必ずや弊害が発生する。
と持論を展開されています。
高橋教授が言うには、「そもそも評価を客観的にしようとしたこと自体が問題」で、マニュアルで客観的に点数をつけることで評価が無責任となり、これが評価される側にも伝染することがCSRを考えるうえで必要であると。
ボクも成果主義の運用は難しいと思っています。
ボクの持論は、まずは「上司の育成」、「マネジメントの徹底」。評価する側である“上司”の意識が高まらなければ、成果主義を支える「目標による管理」は目に見える数字による一方的な評価の押し付けとなってしまう。
多くの人が高い評価を欲するのは世の常、客観的指標のインパクトが強すぎて、「目に見える数字」が目的となる。プロセスよりも結果が重視され、次世代の育成よりも自らの実績が重視される。
人事異動が常である会社では、自分が担当している間の「目に見える数字」を追いかけ、永続が前提である会社の目的とギャップが生じ始める。うっかり誰かが目に見える目標を外すまで、“成果主義のハンカチ落とし”が続けられる。ボーっとハンカチを見落としたらゲームオーバー、無能者として評価される。
また、目標を低く抑えることが器用に求められ、エラーのリスクを極力落とすことが有能と言われる。
野球にたとえれば、易しい正面のゴロをファインプレーに見せる技術を磨くことが求められ、三遊間の難しいゴロは取りに行くことを避けることが有能と言われる、これでは試合に勝てるわけがない。
そこで、高橋教授の持論は「給料で報いるシステム(成果主義)」ではなく、「次の仕事の内容で報いるシステム(日本的年功制)」が望ましいということです。成果配分を賃金だけに限定しすぎるとバランスが崩れると。
ボクもおっしゃるとおりだと思います。
高橋先生の話と、成果主義についてはもう少し書きたいところですが、今日の本論から外れますのでこのくらいで。。。
CSRに戻ります。
高橋教授の話をもう少し引用しますと、
成果主義の主張とは、「成果をあげればカネを払うといっているのだから、嫌な仕事でも文句を言わずに働け。ただし、失敗したら君の責任だからな。たとえそのことで、君もしくは君の家族が路頭に迷うことがあったとしても、私も会社も一切関知しない」という身もふたもない露骨な開き直りであり、CSRが問われる。
賃金では人は育たない。次の仕事を与えられることで、はじめて人は育つのだ。敵対的買収を心配するだけの内部留保があるのであれば、それを投資して、新しい事業や仕事、そして雇用の創出に使うのが企業のCSRというものであろう。
人を雇用し育てること、これこそがCSRだと。
もちろんCSRの一面ですが、今までボクが思っていた「CSR」とは全く違う切り口でしたので、とても面白かったです。とても勉強になりました。
少し書き足りないので、しつこいですが今度もう少し書きます。
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