「残念な人」
イメージできるようで、イメージしにくい、そんな言葉だと思いました。
そんな残念な人を標準化しようとした意欲?作。
自分から本屋さんやアマゾンで購入することはなさそうな題名の本なんですが、
会社の同僚から回ってきて、少し前に読み終えていた一冊です。
まず、この本における残念な人とは・・・
残念な人は、やる気OK、能力(読み書きそろばん)OK。しかし、何かが間違っているために、結果がいまひとつになってしまう。
だから、残念な人とは、決して「バカな人」という意味ではない。「もったいない人」と言い換えてもよい。(P11)
著者は、そんな残念な人には、大事な「思考法」が欠けていると説明されています。
その一つが、目的。しかも「SMARTの法則」で定められた目的を立てていない、という話がありました。“SMART”は下記の英単語の頭文字をとったもの。
ビジネス本らしいまとめ方ですよね。
- Specific(具体的である)
- Measurable(測定可能である)
- Agreed(納得している)
- Realistic(実現可能である)
- Timely(今やるべきことである、または期限がある)
目的「意識」を持つのではなく、目的を持つ。頭の中に置いておくだけではなく、紙に書く。そして、SMARTな行動に落とし込むのである。
多くの会社で導入されているであろう「目標管理制度」のマニュアルに使えそうな話ですよね。
このあたりは、まさにSpecific(具体的である)で、Realistic(実現可能である)な考え方だと思いました。
でも、ボクには何か物足りないんですよね・・・
この本の基本的なスタンスは、残念な人を枠に入れて、
「おい!君たちのいる場所はここじゃないだろう?そうだ!俺のところに来いよ!やれるぞ!」と、
テンションはかなり違いますが、松岡修造氏的な熱さと空虚さが同居したような言葉を、
実に奇麗な表現と構成で飾っているような、そんな風に感じました。
ビジネス本としては、結構、働き方のヒントとなるような箇所もあって、先ほどの「目標管理制度」の話じゃないですが、人事や教育を担当している人には、うなずきながら読み進める場面も多いんですけどね。
ボクには、そもそも「残念な人」と「残念ではない人」の線引きから納得できずに、少し引き気味に読んでしまった可能性も十分にあります。
また、著者の言う「残念な人」は、「何かが間違っているために、結果がいまひとつ」であって、その「何か」が著者には特定できるのだとしたら、この本で「残念な人」は一掃できるはずですが・・・そんなに単純なことではないですよね。
個人的には「残念」も、いとをかし。
「残念ではない人」だらけの会社や社会は窮屈ではないかと。
そして、この本でボクが一番残念だったのは、P203からの「意識改革はしなくていい」という話。
ここを否定すると、「残念な人の思考法」の改革を主題としたこの本自体の否定にならないんでしょうか???
少し引用しますね。
「意識改革がどうなると成功したか」という定義自体がまず不可能だ。それに、意識は目に見えない。だから効果が測定できない。
従業員の意識が変わったことによって経営者が何を得たいかといえば、結局は業績を上げたいのである。業績は上がっていないが、社員間のコミュニケーションが増えた、仕事の能力が低い人間も、活き活きと働いている……。そんな状況で満足する経営者がもしいるならば、お目にかかってみたいものだ。
「意識改革」それ自体を目的化してはいけないという意味であれば、大賛成です。
意識改革は「行動改革」であり、「習慣改革」でなければ意味がないと、バッサリと書けば、ボクもそう思います。
一方で、「コミュニケーションの量」や「活き活き度合い」は、習慣や行動を測る一つの度量衡であると考えていて、今そこにある業績に比べると確かなものではないことも事実ですが、明日の業績のためには大事な指標だと思うんですよね。
「思考法の改革」も「意識改革」も大事であると、ボクは声を大にして言いたい。
でも、やっぱり間違ってはいけないのは、「思考法」や「意識」を変えることは、それ自体が目的となるわけではなく、何かを実現するための手段・過程であるという大前提ではないか。
コンサル的な理論構成、そしてそのプレゼンテーションを学ぶには良い一冊かもしれません。
残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ) | |
山崎将志 | |
日本経済新聞出版社 |
<目次>
プロローグ なぜ残念なのか
1章 残念な人はつくられる
2章二流は掛け算で考え、一流は割り算で考える
3章 残念な人は「塗り絵」ができない
4章 機能だけを磨いても二階には上がれない
5章人生を残念にしないためのプライオリティ
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