今日の夕刊にこんなニュースがありました。
「都の学力テスト1位、小学は文京区・中学は国分寺市」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060608AT1G0801J08062006.html
東京都教育委員会は8日、今年1月に都内の公立校に通う中学2年生と小学5年生を対象に行った学力一斉テストの結果を公表した。今年で3回目の中2は、理科の平均正答率が昨年の67.1%から79.5%へと上昇。2回目の小5は国語が78.9%から82.2%に改善した。
都教委は、小中学校数がそれぞれ3校以上、生徒・児童数が100人以上の条件を満たす区市町村について、教科ごとの平均正答率を公表。全教科の平均正答率を合計すると、上位はいずれもわずかな差だったが、中2は昨年3位の国分寺市が、小5は同4位の文京区がそれぞれトップになった。
(日本経済新聞)
東京都教育委員会が実施した「児童・生徒の学力向上を図るための調査」の結果が公表されたようです。資料、多いですね~。途中で嫌になってしまいました。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr060608s.htm
この調査の目的は・・・
- 児童・生徒一人一人の各教科の学習指導要領に示された目標や内容の実現状況を把握し、
- それを指導方法の改善に結び付けることにより「確かな学力」の一層の定着に生かすこと
なのだそうですけど、調査の目的がしっかりと果たされているかどうかは、ぜひ専門家の方の評価を知りたいものです。「素人中の素人」(しつこい?)のボクから見ると、こういう内容だったらわざわざ東京全体で取りまとめるまでもなく、各学校でテストの結果を反省すれば良いのではないか?・・・なんて思ってしまいました。
特に気になったのは2点。
(1)テストの難易度は?
日経の記事では、中二の「理科の平均正答率が昨年の67.1%から79.5%へと上昇」、小五の「国語が78.9%から82.2%に改善」という結果が書いてありました。
これだけ見れば、「おおむね良好」なんて暢気な評価にはなりませんよね。中二の理科の先生と小五の先生は表彰モノです。
きっと「学習指導要領」が違うから単純には比べられないというオチでしょうけど、それだったら「総合的におおむね良好」とした評価基準は何なんだ?というモヤモヤ感が残ります。
個人的には、「学習指導要領=最低基準」という位置づけであれば、正答率7割台は「問題あり」としか感じられません。
(2)新聞の報道は?
日経新聞の夕刊を見て、思わずずっこけてしまいました。(死語?)
この内容の記事のタイトルは「都の学力テスト1位、小学は文京区・中学は国分寺市」・・・この調査の目的を理解したうえでの掲載ですよね?
これはないんじゃないか・・・とがっかりしました。
みなさん、ハローです。ホディです。
苅谷剛彦先生の『なぜ教育論争は不毛なのか』を読みましたので、感想を書こうと思いましたら、なかなか良いタイミングで東京都の調査の結果が出ていましたので、前置きが長くなりました。ちなみに苅谷先生の本は『階層化日本と教育危機』に続いて二冊目。そのときの感想は3部作(笑)、元気なブログを書いている時期もあったんですね~
上:http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/270a76577528e2ff18a6e25c52f34a37
中:http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/05bd36d9267f68d5e5461da7adbac365
下:http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/a3f8d41fbccb54e6a5cc0f109349e3a9
(↑よろしければお読みください。長いですよ~)
さて、今回は簡単に(苦笑)。
この本は2003年5月が初版。主に1999年度から2002年度までの新聞や雑誌への投稿記事などから組み直したような形式のものです。したがって、5年くらい前の話がほとんどのはずなんですけど、実に新しい。逆に言えば、その頃に教育関係者の話題になっていたものが、ようやく消化されつつ(?)ボクらのところに降りてきたような感じなんでしょうかね。
そう思うのも、主題は教育論争についてですけど、キーワードは沢山あって、「学力低下」「ゆとり教育」「入試」「大学全入時代」「教科書問題」「学習指導要領」「格差問題」「行過ぎた個人主義」、そして「愛国心」など。どれも未だに議論の続いている内容です。
「ゆとり」か「詰め込み」か、という二項対立の答えのない議論を続けているうちに日本の教育が迷走をし始めていると苅谷先生は指摘されていますけど、確かにそうだな、と感じます。かといって、苅谷先生も含めて確かな答えがないのがこの問題の最大のポイントなんですけどね。
みなさんのブログを読んでいても、それぞれの教育観があります。そして、多くの人が教育が大事だと思っています。そんな中で舵を取らないといけない国、それを支える人たちは大変ですけど、がんばって欲しいなと期待しています。
少しだけ意見を言わせてもらえば、「教育=学力向上」ではないのではないか?ということ。確かに学力はそれなりに「テストの点」で評価できます。ただ、「テストの点」は短期的な評価でしかなく、10年後にその学力がどうなっているか?なんて想像すると、無意味じゃないのか?とさえ思います。
もちろん学力も大切ですけど、ボクが一番大事だと思うのはその過程の「努力」。
残念ながら大学入学の際に、ボクは「学力」のほとんどは故郷に忘れてきてしまいました。でも、忘れなかったものは「努力」。
一言で言うと軽いですけど、中身は結構ややこしいです。努力の「有意さ」と「むなしさ」を学校で学ぶことが大事だと思っています。これは忘れない。ボクの場合は、努力して勉強すればそれなりにテストの点が上がった、でも、それ以上に努力してバットを振っても野球部のレギュラーにはなれなかった。
これは人それぞれですけどね。
だから幅広い科目を勉強して、音楽や図工、体育ではいろいろなスポーツにチャレンジする。あるいは体験学習で様々なことを経験する。その中でそれぞれが努力して、成功することもあれば、失敗することもある。そんな努力の「成果」と「無駄」の繰り返し・・・
またまた長くなりました。
こういう風にいろいろ言う人がいるから「教育論争は不毛」なんですよね。
答えはない論争ですけど、短期的ではなく長期的な視野で行くべき道筋を示して欲しいと思います。何より権威を失いつつある教師が自信を持てるような道筋をお願いしたいものです。
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