あぁ、バッサリと。
地道に、着実に伸びていた枝が、新しい芽がバッサリと。
さくらの枝が切られていました。
みなさん、ハローです。ホディです。
花が散ってから見る見る伸びてきた枝でしたが、大きくしなってせりだしてきていたので、どうするんだろうと思っていましたが、とうとうバッサリと切られていました。
公園の一部の担っているという点では、ただ伸びていくのは許されないんでしょうね。。。
少し話はそれますが、日経新聞の朝刊に「インタビュー領空侵犯」という記事が毎週月曜日に載っています。今日は建築家の安藤忠雄氏が“想像力”について応えられていました。少し引用します。
「想像力は頭の中の働きだと思われていますが、そうとばかりは言えません。実際に行動することで他者の痛みが分かり、見えないものへの想像を働かせられるようになる。想像力は感動体験とか生活感覚の中から生まれてくるものです。」
━経験が足りないから想像力が衰える。
「人間はプロセスを踏んで成長していくこと、つまり年齢に応じた経験を積み重ねていくことが必要です。しかし現代は幼稚園、小学生、中学生、それぞれの段階で経験しておくべきことをしないままに大人になってしまう。知識の総量ばかり気にして、プロセスの重要性を親も教師も忘れている。」
みなさんは「想像力」って何を想像しますか?
「未知なるものを頭の中で描く力」でしょうかね・・・(言葉の定義って難しいですね・・・)
ただ未知といいつつも、正確には“未知”のはずはない。未知のものを思い描けるはずはないですから。
そう再認識すると、安藤氏の言葉も理解が深まりました。何かを思い描くにしても、理解するにしても、結局は自分の既成観念の枠の中での作業なんですよね。
そして、その枠を広げるには、経験、プロセスが成せるものということなんでしょうね。
枠を広げるというか、自分の視点を固定しないで、様々な視点から物事を観ることのできるようになる。そのプロセスごとにしっかりと物事を考えるからこそできる能力なんでしょうか。
自己満足の言葉遊びになってしまいましたね。。。
訳の分からない話でスイマセン。
━プロセスを踏む、にはどうしたら良いのでしょう。
「大人になってからでは遅い。子どもを自由にさせることです。自由を認めて初めて、子どもたちは体験の中で自分なりの価値基準を築き、判断力を高めていける。自由にはそれなりの責任がついて回ります。そのことが想像力を養うことにもなる。」
安藤氏の一言 長い人生を豊かに生きるための基礎は子ども時代にある。
「放任ではなく子どもを自由にさせる勇気」が必要だと安藤氏は話されています。
確かに子どものころから自由に判断させることが基礎となるんでしょうね。
自由を認めることで、自分なりの価値基準を築き、判断力を高めていける、これはサラリーマンの世界でもいえることです。ボクは大人になってからでは遅いとは思いません。というか、遅くないと信じたいです。
ボクらも、まだまだ想像力を高められるようになりたいですから。
安藤さんはそんなこと言ってましたか、、、
お金持ちは寄付ができるんですよね。
お金を所有したからシェアできるんですね。
子供にオモチャをあげて、
その子がそのオモチャで遊び、自分のモノという所有を確認すると、
友達に貸してあげられるんですよね。
楽しんでる人が、笑顔を振り撒けるんですよね。
世の中のモノサシに関係なく、
素晴らしい体験を出来た人が、
自由な発想ができるんですよね。
「自由」と「想像力」が並んじゃうと、
難しく考えちゃいますけど、
「冷蔵庫の余り物で美味しいものをつくる」
っていうのも
私の大好きな想像力のひとつです。
注)コーラと醤油を混ぜたらマズイです。
コメントありがとうございます。
ボクもトムさんのブログ読んでますよ。
いただいたコメント、おっしゃるとおりですね~
コーラと醤油はチャレンジしないようにします。
やはり想像力は大事ですよね。
読書活動(読み聞かせ)等でも想像力が養われる…と聞いた事があります。
>自然体験などの減少により命の大切さについても軽視されつつあります。
おっしゃる通りですね。
自然体験などの直接経験、読書による間接経験、想像力を養うにはさまざまな経験を積むしかないんですよね。近道はありません。
ボクももっと想像力を高めたいと思っています。