小説「沈まぬ太陽」を読んだのは、2002年のはじめくらいだったと思います。御巣鷹山篇くらいから特に、大きな衝撃を受けまして、周囲の人にも薦めたように思います。(誰も覚えてないか・・・)
そのときにいた会社(新卒で入社した会社)が大きな変動の波に乗ろうとした前後の頃で、高揚しそうな面を良くも悪くも冷静にさせられ、人事部に配属になって丸5年を迎えようとしていた頃でもあって、会社・諸先輩から引き継いで、自分なりの理解をし始めた「人事」という仕事観を、改めて見つめ直すきっかけともなったように思うんですよね。
※「沈まぬ太陽(上)」からの続きです。
http://blog.goo.ne.jp/hoddy/e/d6e3068ac61fcbdac0f96e6443d1f592
それにしても、主人公・恩地元(渡辺謙)には、いろいろな不条理な会社の論理が押し付けられますよね。立場を変えれば、国民航空はここまで執拗に一社員に対して会社の論理を押し付ける必要があったのか???
時代が、現在とそのときでは全く違うでしょうが、ここでは現在というある意味、仮定の中での話をしますので、この点だけはご容赦ください。
経営判断で、会社としての必要な施策のため、人事としてはやらないといけないことがある・・・
これもまた現実で、この話に書かれているような露骨な労働組合差別、労働組合活動妨害は論外ですが、ある意味、非情・非常である対応も必要なこともあるわけです。どこまで許容されるか・許容するかは、就業規則をはじめとした広義の労働契約はもちろん、会社としての慣例や社員の心構えによっても違うと思うので、ここではあえて論じませんが。
また、人事のスタンスは経営サイドに寄るべきか、社員サイドに寄るべきか、なんて議論もよくありますよね。
経営の方針に沿って、会社の一組織である人事部として働くわけですから、経営サイドである、という点も間違いないでしょう。一方で、経営の方針に関わらず、その存在自体が社員のパフォーマンスを上げること・力を発揮しやすい環境づくりがミッションの一つであることは間違いないことですので、社員サイドである、という点も間違いないんですよね。
どっちかでも、どっちよりでも、そういう問題ではなく、両方の最大利益、欲張れば両方ともの実現を図るのが人事としてのスタンスなんではないかと。
閑話休題。(若干、ネタバレ注意)
恩地は、自分としての意地や正義感もそうでしょうし、会社のため・仲間のためという思いから、「労組委員長時代のことの詫び状」を書くことを拒否したわけです。これはこれで、やっぱり大事な意思表示なんですよね。イエスマンだけでは、間違うこともあるかもしれませんし、何より、せっかくいろいろな人が集まっている会社としての強さを放棄することになるわけですから。(少数意見の無視は、均質化・単調化を進めることになる。)
でも、それでも闘う範囲は、それぞれの許容範囲内であるべきと考えますので、会社側も内規に沿わない海外特殊地域への連続転勤はすべきじゃなかったと思いますし、恩地は恩地で(これは彼自身や家族自身の信条の問題かもしれませんが)「詫び状か辞表か」を選ぶことも必要だったようにも思うんですよね。もちろん、恩地について言えば、労組委員長時代にどうこうということではなく、(自分のことだけではなく)家族のことを思えばという点では、ある意味、誤解を招いた、悪く受け取られたことは正しく伝えなおすことに、闘いの範囲を引き直すことも必要なことだったと思うという意味です。それすら許さないのであれば、やはり自分にとっても家族にとっても潔く、(自分の考えを受け入れてもらえない会社は逆に見切って)国民航空以外の別の道を切り開くということも大事だったんではないかと。
一方で、「会社を変えるには、自分が力を持つんだ」と八馬忠次(西村雅彦)に説得された行天四郎(三浦友和)は、映画・小説的にはあれでしたし、まぁあれですけど、闘う範囲を切り替えたこと自体はサラリーマンとしては当然の選択だったように思います。恩地が同じ選択を取れていたなら、国民航空の安全はもっと確保できていたかもしれないわけですし。
言いたいのは、やっぱり人事(会社)は社員を追い詰めちゃいけないし、お互いにとってのベストな選択肢を都度都度、準備できるような余裕がないとダメなんですよね。
陰湿な懲罰人事なんて論外。本当に懲罰が必要なら真正面からやれば良いわけですし、できないような懲罰ならば、やっぱりできないと諦める。でも懲罰はできないけど、経営的には認められない・社内秩序的には許容し難いことならば、直接、指導するしかないんですよね。繰り返し、繰り返し、出来るだけ何度でも。その繰り返しが、社内慣例(文化)を作るわけですし、次の懲罰の基準も作るわけですから、とても大事なことなんです。(懲罰人事なんて、一度やっちゃうと、それが次を呼ぶし、受ける人はもちろん、周囲の人にも妙な感情をもたらしてしまうんです。結果的に社内のモラールを下げてしまうだけ。)
少し言い換えると、会社と社員がよい距離感でいられるように、人事部は適度に父親としてのスタンス、母親としてのスタンス、教師的スタンス、近所のおじさん的スタンス、警察(検察)的スタンス、裁判官的スタンス、等など、いろいろな立場から社員が追い詰まらないようにしつつ、一方では別の道を考えるタイミングも教えてあげる(場合によっては退出を通告しなければいけないタイミングもあるかもしれませんが。)ことも必要ではないかと。
もちろん、ここでは人それぞれの価値観(文字通りの価値の置き方、年の功や社歴、プライド etc)や生活観、そして何より実際の家族がいるわけです。
今回のテレビ放送の冒頭の映画紹介で、渡辺謙さんが「重厚感溢れる男たちと家族の物語」というような表現をされていたように記憶していますが、「人事」の先には、まさに当該社員だけではなく、家族の人生もあるんですよね。なかなか背負うには重い職責ですけど、今の日本の雇用環境・人事慣例から言えば、このくらいは覚悟しておくことが必要だと思うんです。(今の日本の雇用環境・人事慣例で良いかという話は別問題。これはまた改めて。)
「沈まぬ太陽」は、人事担当して負うべき職責でもあるとボク自身は考えています。
(長くなりましたが、これで上下完のつもりです・笑)
沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫) | |
山崎 豊子 | |
新潮社 |
http://ameblo.jp/kokkororen/entry-10796132024.html
コメントありがとうございます。
拝読させていただきました。
非常に内容の濃いインタビューだったと思います。通常だとボクらはなかなか目にすることのできない内容だと思うので、貴重な内容でした。教えていただきありがとうございました。
山崎さんと恩地さんのモデルの出会いについては、そんな偶然があったとは大変驚くとともに、恩地元の名前にはそんな意味があったのか?と。
>名前を「恩地元」としたのは、大地の恩を知り、物事の始めを大切にするという意味を込めたものです。
“勇気”は大事にしたいですね!
なにがあってもサラリーマンは家族の
為に我慢してアフリカだろうが単身
赴任して稼ぎ沈まぬようにすなはち
辞めないで頑張ることと理解しました
よ、男はそうでなければいけません。(笑)
珍しくmoto金田浩さんと意見が違う・・・
>サラリーマンは家族の為に我慢してアフリカだろうが単身赴任して稼ぎ沈まぬように
ボクは家族のためにそんな会社捨てちゃえ派です。
まぁ、いろいろな働き方が会って良いと思うんですが、、、
この辺の話は、また改めます(笑)。
似たような事が多くあり我慢した
もので。(笑)
ボク自身はそういう経験は結局しなかったんですが・・・
(少なくとも今までは。これからは???)
でも、自分が本当にやりたい、ぜひチャレンジしたいことだったら、そういうタイミングもあるかもしれないという思いもあります。