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きっかけはよくわかりませんが、数年前から「アングラ」な中華料理屋が突然大流行し始めたのです。
「アングラ」と言っても、荷物置き場とクイックマニキュアショップの間にある、地下鉄のトンネルの中にひっそりとたたずむ氷点下の場所、という意味ではありません。
つまり、違法の店だということです。そしてそれは料理屋と言っても、家族の住むアパートが夜だけ食堂になるようなものです。
クレジットカードでの支払いはできませんし、飲み物はその家の住人である子どもがテーブルに運んでくる可能性が非常に高いのです。
しかしその違法の中華料理屋は素晴らしく、料理はたいてい中華料理チェーン店よりも美味しく本格的で、とても楽しい体験ができるのです。
私が好きなのは、メニューの解読に挑戦することです。チキンやエビに野菜麺やライスを添えたシンプルな料理から目を離すと今度は、「スパイシーガーデンショベル」や「ポーク・ア・ラ・フィッシュ」といった訳のわからない料理が目に飛び込んできます。
間違って翻訳された食品名には面白いものが多いものです。なんの罪のない文章を、呪いに満ちた文章に変えてしまう自動翻訳(機械翻訳)も同様に面白いものです。しかしもし、内容よりも文脈の方が重要な文章の場合、翻訳の影響はどうなるのでしょうか。
翻訳とは、違法な中華料理店の人たちがやったような、単に単語を切り取ってそれに相当する言語に変換することではありません。
会話や文章の中の言葉は、単独で成立していることはほとんどなく、周囲の他 の言葉と結び付いています。また、それは特定の社会的、経済的、政治的、文化的な条件下で話されることもあるのです。
政治的な文脈では、単純なミスが戦争行為につながる可能性があるため、誤訳やその他「言語の壁」がより重要な役割を果たすことがあるのです。
目次
- サウンド・オブ・サイレンス
- A5駆逐艦が被弾
- ウランは見当たらない
- まとめ
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