聖帝明治天皇陛下の好きだった蓄音機と新聞
明治天皇陛下の趣味の一つは、
手回し蓄音機で音楽を聴くことでした。
陛下に仕えるものによれば
《近頃流行のラジオ、あれを聞くたびに「あぁ、今少しご在世が長かったら、あんなに蓄音機がお好きだった聖上(おかみ)のお耳にせめて一回でも……」と年寄りの繰り言をするのです。聖上は、それはそれは蓄音機がお好きでした》
明治天皇陛下が初めて蓄音機を見たのは、明治36年の第5回内国勧業博覧会でのことでした。
このとき、宝生九郎の吹き込んだ謡曲を聴いてハマってしまいました。
ちなみに明治40年には、「蓄音機」という題で、こんな句を詠んでいます。
末までも きかまほしきを たくはへし 声のたゆるが 惜しくもあるかな
明治天皇陛下は新聞も大好きでした。
《聖上は下情に通じるための手段として、
全国の新聞という新聞に目を通していました。
聖上に差し出す新聞は普通のもので、ただ消毒しているだけが違いです。
新聞をご覧になった後は、必ず保存していました。
おそばの者たちが
「新聞がだんだんと増えてきて、倉の中がいっぱいで、もう置き場所がなくて困ってしまう」
と言っていたこともあります》
#明治天皇陛下
#聖帝
明治天皇陛下の趣味の一つは、
手回し蓄音機で音楽を聴くことでした。
陛下に仕えるものによれば
《近頃流行のラジオ、あれを聞くたびに「あぁ、今少しご在世が長かったら、あんなに蓄音機がお好きだった聖上(おかみ)のお耳にせめて一回でも……」と年寄りの繰り言をするのです。聖上は、それはそれは蓄音機がお好きでした》
明治天皇陛下が初めて蓄音機を見たのは、明治36年の第5回内国勧業博覧会でのことでした。
このとき、宝生九郎の吹き込んだ謡曲を聴いてハマってしまいました。
ちなみに明治40年には、「蓄音機」という題で、こんな句を詠んでいます。
末までも きかまほしきを たくはへし 声のたゆるが 惜しくもあるかな
明治天皇陛下は新聞も大好きでした。
《聖上は下情に通じるための手段として、
全国の新聞という新聞に目を通していました。
聖上に差し出す新聞は普通のもので、ただ消毒しているだけが違いです。
新聞をご覧になった後は、必ず保存していました。
おそばの者たちが
「新聞がだんだんと増えてきて、倉の中がいっぱいで、もう置き場所がなくて困ってしまう」
と言っていたこともあります》
#明治天皇陛下
#聖帝