ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

長州藩名家老の村田清風 (むらた せいふう/1783年)公の素晴らしい言葉と村田清風公は 吉田松陰先生も尊敬していた

2019年08月20日 | 長州藩名家老の村田清風 (むらた せいふう/1783年)公の素晴らしい言葉...
村田清風
(むらた せいふう/1783年)は、

江戸時代に活躍した長州藩士(家老)。


吉田松陰先生も尊敬していた

有名な言葉が

☆「敷島の大和心を人問はば蒙古の使ひ切りし時宗」☆

剛勇果断よく国難に際して、
外冦を退けた北条時宗を
大和心の象徴としております。



素晴らしい実績を残している村田清風

藩主・毛利敬親のもとで天保の改革(江戸時代の三大改革の一つ)に
取り組んだことで知られる人物であり、財政難で苦しんでいた
長州藩の財政再建を担ったほか、
庶民層に対しても教育を薦めるなど教育普及にも力を注いだ。

清風は様々な改革を行ったが
三七ヵ年賦皆済仕法」
(家臣団の負債救済法)
が元で商人らに反発を受けることになったほか、
下関に設置した越荷方による流通改革が大坂の商品流通の減少を招いたため幕府から横やりが入り退陣。

改革の途中であったものの家老の坪井九右衛門に藩政の実権を譲って隠退。

その後は子弟教育に力を注ぐ一方で、『海防糸口』『病翁寝言』『遼東の以農古』など多くの著作を残した。

また、清風が行った改革は幕末の長州藩の基盤を作ったとして現在でも高い評価を受けている。


> 実技のやれない者は
> 理論を言うな。
>
> 理論に通ぜぬ者は
> 実技を論ずるな。