聖帝明治天皇陛下は天性の歌人でした。
そして、宮中では毎日たくさんの和歌
を、詠みました。
生涯で10万句を作りました。
以下、御歌所寄人の千葉胤明の証言です。
《明治天皇陛下は天性の歌人でした。
お遺しになった御製(の句)も10万に達しています。
日露戦争のご多忙の折でも、毎日40首以上詠んでおりました。
ご壮年の頃、「探梅」という句をお作りになったのですが、私は「題にふさわしくない」
との評を出しました。
数日たって「この間の歌は、どうして題にふさわしくないのか」とご下問されました。
「おそれながら、あの句はたった1日で鎌倉の梅を見に行ったかのように感じられます。そこがいかがかと思います」と答えると、「そうか」と仰られました。
すると、また2~3日たって、
「この間、鎌倉の梅は1日では見られないと言っていたが、
昨日実際に試させたところ、
1日で十分だったと言っている。
それでもあの歌は題意にかなわぬと言うのか?」と仰ります。
「たしかに駿馬で回れば鎌倉も1日で事足りるかもしれませんが、国家の有事ならいざ知らず、歌ですから心に風流のゆとりがなくてはなりません」
と言うと、明治天皇は「もっともである。よくわかった」
とニッコリされました》
歌の批評に納得がいかず、
実際に鎌倉まで梅探しに行かせるというのは、かなりすごい話です。
聖帝明治天皇陛下は天性の歌人でしたね。
皇紀2679年わが国繁栄
そして、宮中では毎日たくさんの和歌
を、詠みました。
生涯で10万句を作りました。
以下、御歌所寄人の千葉胤明の証言です。
《明治天皇陛下は天性の歌人でした。
お遺しになった御製(の句)も10万に達しています。
日露戦争のご多忙の折でも、毎日40首以上詠んでおりました。
ご壮年の頃、「探梅」という句をお作りになったのですが、私は「題にふさわしくない」
との評を出しました。
数日たって「この間の歌は、どうして題にふさわしくないのか」とご下問されました。
「おそれながら、あの句はたった1日で鎌倉の梅を見に行ったかのように感じられます。そこがいかがかと思います」と答えると、「そうか」と仰られました。
すると、また2~3日たって、
「この間、鎌倉の梅は1日では見られないと言っていたが、
昨日実際に試させたところ、
1日で十分だったと言っている。
それでもあの歌は題意にかなわぬと言うのか?」と仰ります。
「たしかに駿馬で回れば鎌倉も1日で事足りるかもしれませんが、国家の有事ならいざ知らず、歌ですから心に風流のゆとりがなくてはなりません」
と言うと、明治天皇は「もっともである。よくわかった」
とニッコリされました》
歌の批評に納得がいかず、
実際に鎌倉まで梅探しに行かせるというのは、かなりすごい話です。
聖帝明治天皇陛下は天性の歌人でしたね。
皇紀2679年わが国繁栄