ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

神道の教えを継承している徒然草「吉田兼好貢献者」

2019年03月24日 | 吉田兼好
われら日本三大随筆の一つ「徒然草」

神道の教えを継承している書物のひとつです。

学生時代、国語の授業や日本史の授業に必ずといっていいほど登場する「徒然草」。
今のわれら日本人にもきっと役立ちます。



「徒然草」は鎌倉時代末期、吉田兼好によって書かれた随筆です。

序段を含め244段から構成されていて、上巻と下巻に分かれています。
現在の日本語の表記体系の元となる
「和漢混淆文」と
仮名文字の両方で書かれているのが特徴です。

清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」とともに、「日本三大随筆」として評価されています。

徒然草のあらすじ

吉田兼好が気の向くまま思いつくままに、
生き方や友人、
恋愛、
神道修行、
自然などについて、
楽しく面白く綴っています。
「徒然」とは、特にやるべき事がなく、手持ち無沙汰な様子を表します。
「草」は植物でなく、ノートを表します。

「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」(『徒然草』から引用)

この有名な序段の文は、
「特にやるべき事もなく退屈だったので、1日中硯(すずり)に向かって、心に浮かんでくるいろいろな事を
ただ書いていると、
妙に夢中になって気が変になりそうだ」という意味です。

この前書きから始まります。

神道に基づきつつ吉田兼好の色で世の中のさまざまな事柄について書き綴られています。



吉田兼好について

本名は卜部兼好(うらべかねよし)。
鎌倉時代末期から南北朝時代に生きた官人、歌人、随筆家です。

吉田神社の神職である兼顕の息子として生まれました。神祇官を輩出する神職の家柄。自身は堀川家の家司となり、その後六位蔵人に任命されます。

和歌を詠んだりしていたそうで、「徒然草」もこの頃に書かれとされています。二条為世に和歌を学び、その才能は二条為世門四天王の一人となるほどのものでした。

神道の教えを継承している徒然草は
いろいろ導いてくれる人生の書物になる素晴らしいものです。

皇紀2679年(平成三十一年)