「わが国史上で大功労者の一人が皇居周辺の銅像になっています。
数多(あまた)の英雄豪傑偉人がいる中で、皇居周辺に銅像が建っているのは二人だけです。
貴族文官からひとり。武将からひとりです。貴族文官のひとりは和気清麻呂(わけのきよまろ)です。
和気清麻呂は戦後教科書から外されてしまいました。
おかしい話です。
戦前戦中のわれら日本人なら誰でも知っていた人物です。
むかしのお札にもなっています。
和気清麻呂(わけのきよまろ)大功労者は、道鏡という仏教坊主が天皇の地位を狙ったときに、これに対抗して皇統を守りました。
命がけのお護りです。
三つ上の姉の和気広虫(わけのひろむし)とともに皇統をお護りしたのです。
和気清麻呂の時代は
仏教坊主が権力者になり
天皇陛下の地位も狙っていた不届き者てです。
孝謙天皇陛下の贔屓(ひいき)にあって天皇陛下が自身が政治に関わらないとはいえなにもいえない状況になるくらい
坊主の道鏡が権利を握っていたのです。
和気清麻呂功労者は、国家、われら大和(日本)の一大事と
おもりして天皇家皇統が守られました。
悪い道鏡は
天皇陛下の地位につけず、怒り狂い、
和気清麻呂愛国者を罪をきせました。
そのため別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)というひどい名前に改名させらました。
大隅国(現在の鹿児島県)に流罪にされてしまいました。
神護景雲4年(770)8月、称徳天皇陛下が53歳で崩御されました。
そして第49代光仁天皇陛下が即位されました。
そして即位した光仁天皇は、悪い道鏡をくびにしました。
わが大和を護った和気清麻呂と姉の広虫を呼びもどして名前ももどして
名誉回復しました。
われら日本をまもった和気清麻呂をみなさん讃えてください。
和気清麻呂氏は
我が国の大功労、愛国者です。
国史の大人物です。