ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

わが国の修身は世界からも絶賛

2019年07月29日 | 修身
明治四十一年にロンドン大学で国際道徳教育会議が開かれました。

そこに提出された
われら日本の修身教育は
各国の注目を集め、道徳教育の粋として絶賛されました。
以来、多くの国が範を
われら日本国の修身教育に求め、修身を参考に道徳の教科書を編んでいるのです。

このことは各国の道徳教科書を見れば、容易に跡づけることができます。
そのことを知らないのは日本人だけです。

われら日本の修身は先人日本人だけでなく海外の優れた人から逸話を通して
紹介して学べるようになっています。


勇敢なる女帝の神功皇后陛下の凄さ

2019年07月29日 | 神功皇后陛下
勇敢なる女帝である。

第14代仲哀天皇陛下の后である。

第15代応神天皇陛下の母親。

朝鮮半島の制圧を神より命じられたのにも関わらず亡くなった死んだ夫の
仲哀天皇陛下
に変わり、
妊娠したままで朝鮮へ出兵した。
その後出産したことから、
聖母であり武芸の神として祀られる。

これはほんとの話である。
高句麗(中国北東部と朝鮮北部)広開土王碑にものっている。

この神功皇后陛下の三韓征伐は、神功皇后陛下が新羅出兵を行い、大和朝廷(日本)が勝利した。
朝鮮半島の広い地域を支配した。

応神天皇陛下が八幡様と同一視されることから全国の八幡神社で、一緒に祀られていることが多い。

また朝鮮への出兵の際に関わった
住吉三神、
宗像三女神
と一緒に祀られることも多い。

神功皇后陛下の凄さは伝えていきましょう。

日の丸弁当思いがはいってさらに美しい

2019年07月29日 | 日の丸弁当
聞けば弁当は日の丸弁当

日の丸弁当は、日本の弁当の一つ。
弁当箱に詰めた飯の中央に
副食として梅干し1個だけを乗せたものである。
われら祖国の日本の国旗のかたちに似ていることが名の由来である。

日の丸弁当は梅干しの栄養がすごい。

梅干しが自家製のところはなおよし

見た目が美しい

別の弁当箱におかずがはいっているから安心

そちらに卵焼き、たこのウインナー、
甘辛の肉、ほうれん草、りんご
白い飯がギュウギュウに
詰め込んだ白い飯。
『それだけでがむしゃらに働いてきたものよ』歯の抜けた黒い空間が愛らしくにっこり笑って軽く言うおじさん、良い顔してるよね。

日の丸弁当で家族のためにがんばろう。

和製のかんじをつくった先人日本人の貢献

2019年07月29日 | 和製漢字
和製のかんじ
をつくった先人日本人
江戸後期から明治時代の人物たち

主な人物なので以下の先人は全員ではありません。

福沢諭吉 (天保五年1835生まれ)

が経済や新聞ということばを
英語から日本語にしたのは有名ですよね。

あと自由や演説や社会もそうです。

杉田玄白(享保18年1733年生まれ)
『解体新書』にて
医学書をオランダ語から翻訳

宇田川玄真(明和六年1770生まれ)
杉田玄白の娘と結婚でオランダ語から翻訳

宇田川 榕菴(寛政10年1798年生まれ)
酸素、水素、窒素、炭素、白金、
元素、酸化、還元、溶解、分析、細胞、属

森鴎外 (文久二年1862生まれ)

夏目漱石( 慶応三年1867生まれ)

みんな先人のおかげで西洋のものを国語、日本語訳して定着したのです。

素晴らしい功績
皇紀2679年の伝統国の我ら祖国





「大和魂(大和心)」とは、神代から続くわれら日本人の精神、われら日本の心のこと

2019年07月23日 | 大和魂と大和心
「大和魂(大和心)」とは、
神代から続くわれら日本人の精神、
われら日本の心の全体像ををさしますね。

 わが国の1万年つづいた縄文文化にはぐくまれた自然と共に生きる心、
すべてのものに神が宿るという神人一体の心も「大和魂(大和心)」である。

古事記に記された、「清く明き心」この心も「大和魂(大和心)」である。

 聖徳太子国父の「和を以て貴しとなす」と言った「和」の心、
これも「大和魂(大和心)」の重要な要素である。

 「大和魂」という言葉が
初めて出てくるのは、源氏物語の「少女」の帖においてである。
主人公の光源氏の息子の夕霧は、高位の貴族の息子が当然つくべき地位ではなく、低い地位から官位につく。
低位の貴族のように大学に行かせて勉強させることを光源氏は決断する。
大学では、唐の学問が教えられた。
唐の学問(漢才)を身につけた上で、
我が国の実情にあうように
応用できる智恵才覚を
「大和魂」という表現で表している。

 「才(学問)をもととしてこそ、
大和魂の世に用ゐらるる方も
強うはべらめ。」
 (学問[=漢才]を基本と
してこそ実務の才
[=大和魂=和魂]が
世間で重んじられるという
ことも確実というものでございましょう)

 明治時代に欧米の技術を取り入れたが、日本古来の伝統や和を尊ぶ心、
以心伝心の心を忘れてはならないという意味で「和魂洋才」
と表現した問題意識を平安貴族はもっていたのである。

 源氏物語を書いた清少納言
(966年~1025年) は、
「和魂漢才」こそ大切である
という文脈の中で
「大和魂」という言葉を使っているのである。
唐の学問に対して、日本の伝統文化、日本の心こそ大切であるという意識があったことになる。

 「大和心」の初出は、
文章博士・大江匡衡(952年~1012年)と百人一首歌人であるその妻の赤染衛門の問答に見られる。

大和魂(大和心)=日本人としての歴史・伝統にはぐくまれた豊かな心 である。

われら日本の心こそ大和魂、大和心ですね。