ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

われら日本国の素晴らしい文学の清少納言の枕草子の後半の一文

2019年05月22日 | 清少納言
われら日本国の素晴らしい文学の

清少納言の枕草子の後半の一文


ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。
人の齢。春、夏、秋、冬。

いまの国語
ただ知らぬ間に過ぎていってしまうもの。帆をかけた舟。
人の年齢。春、夏、秋、冬。

枕草子の後半の一部
清少納言の鋭く観察した
わが日本の美しさ。

なるほど、納得です。

四代目懿徳天皇陛下の皇居は軽之境岡宮(奈良県橿原市)

2019年05月22日 | 四代目懿徳天皇陛下
四代目懿徳天皇陛下のいとく【懿徳】とは。りっぱな徳。美徳の意味です。

四代目懿徳天皇陛下は
『日本書紀』『古事記』とも大きな業績はないが、しっかりと治めて継承した。

大日本彦耜友天皇(日本書紀)
大倭日子?友命(古事記)

『日本書紀』によると、安寧天皇11年1月1日に立太子(皇太子の儀式)。

安寧天皇38年12月6日の
父天皇の崩御を受けて
崩翌年(懿徳天皇元年)2月4日に即位。

そして懿徳天皇2年1月5日に
宮を軽曲峡宮に遷した。

宮(皇居)は
『日本書紀』では軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)、
『古事記』では軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)である。

現在の奈良県橿原市大軽町である。

その後、懿徳天皇34年9月8日に
在位34年にした。

次は皇太子の孝昭天皇陛下(五代目)が継いだ

鹿持雅澄 かもち まさずみ万葉集古義

2019年05月22日 | 鹿持雅澄
鹿持雅澄 かもち まさずみ

江戸後期の国学者,歌人。

土佐(高知)藩の下級武士

藩儒中村世潭に漢学を,宮地仲枝に国学,和歌を学んだ。

生涯を微禄貧困のなかに送ったが
藩家老福岡孝則によって藩校の講義聴講,藩庫の蔵書閲覧の便宜を与えられた。

『万葉集』注釈に生命をかけ,生涯国を出ず,
ほとんど独学で学問研究に励んだ。
その著『万葉集古義』141冊は,本文の注釈にとどまらず,
枕詞から地理にいたるあらゆる分野の研究を網羅している。

近代以前の万葉研究の最高峰

また,万葉研究の過程で体得した復古精神は瑞山に受け継がれ,
土佐の勤皇思想に大きな影響を与えた。

明治維新後,明治天皇陛下が大変感心した。
明治天皇陛下素晴らしい研究の評価で
宮内省から出版された。

石清水八幡宮の凄さ

2019年05月17日 | 石清水八幡宮の凄さ
第九十代亀山上皇陛下の元寇のときの祈りをはじめ石清水八幡宮は
人気と御利益のある神社で有名である。

石清水八幡宮で氏子総代をつとめ、生涯にわたって篤く信仰していたのが、松下幸之助である。もともとからだが弱くて
さまざまな神社を信奉した。
会社にもあちこち神社をつくった。
ご利益を受けて感謝を忘れなかった。
社会に還元しようとおもった。

石清水八幡宮はエジソンの白熱電球の大発明を石清水八幡宮の八幡男山の竹を、使って成功させた。

石清水八幡宮はさらに元寇を退けた。
織田信長公、豊臣秀吉公の崇敬をあつめた。

令和元年(建国の皇紀2679ねん