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明治天皇陛下 実話 兵士と苦難をともにする

2019年08月09日 | 明治天皇陛下 実話 兵士と苦難をともにする
明治天皇陛下 実話 兵士と苦難をともにする

 明治27年(1894)7月、日清戦争が起こると、明治天皇陛下は宮中に大本営を設置し、毎日、軍議を開きました。

戦線の拡大にしたがい、9月には広島に大本営を移転します。

 このとき、広島に同行した石黒忠悳(枢密顧問官、子爵)の証言。

《10月25日になって、私に戦地を一巡してこいと仰せがあったので、その翌日、広島を出て各地を巡視し、11月24日の夜、広島に帰りました。
翌25日の御軍議のとき、巡回先の将卒の健康状態、士気、給与、気候、物資の過不足、運輸の便否などについて詳細に奏上しました。
奏上がすんで最初にご下問になったのは、朝鮮および満州にいる軍隊の糧食についてでした。

「飯は朝鮮米か、日本米か、それとも支那米か」

「平壌におります兵は朝鮮米を食べております。義州の兵は朝鮮米と日本米を混ぜて食べております」

「朝鮮米には砂がたくさん混じっていると聞いているが、その朝鮮米を食べている兵士は、歯を傷めるとか腸胃を壊すということはないか」

 その頃は日本と朝鮮との交通が今日ほど開けていなかったので、朝鮮の米に砂が混じっているような話は、米穀商か、私のような職務上、食べ物に関係している者以外、知っている者などほとんどいない時代です。
それを御下問されるとは、
実に驚くべきことですし、軍人の衛生にここまでご配慮されるとは、
なんともありがたいことです》

 兵隊と苦難をともにするため、広島大本営では蚊帳を吊ることを禁じ、蚊の襲来に耐えたと言われています。

明治天皇陛下の実話は学校ではあまり習わないので貴重な話ですね。

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