ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

伊藤博文公の大活躍

2019年08月09日 | 聖帝明治天皇陛下の全国巡幸と陛下の大好きだった西郷隆盛
伊藤博文公の大活躍

幕末期から少しずつ活躍して明治維新後の活躍が素晴らしい。

明治政府発足当時は、長州閥の親分である木戸孝允(桂小五郎)に師事。

英語力を生かした役職をこなすと同時に、政治家としての力を蓄えていきます。

木戸亡きあとは、薩摩閥の親分であり実質日本の宰相でもあった大久保利通に
その才を認められ、様々な重職を歴任。

天皇陛下の信頼を得つつ、国民にも有名な存在へと成長していきます。

天皇陛下の厚い信頼を得て、難癖のある
様々な政府幹部(公家上がり、武門あがり、庶民上がり)の政治家を融和させた。

大久保利通や岩倉具視亡きあとは、実質わが日本の中心として国政を牽引して
いきます。
その手腕は素晴らしいものだと思います。

伊藤博文公の主な功績です。

・貨幣法の制定。(貨幣社会の確立)
・鉄道開通への尽力。
・教育令の発布。
・大日本帝国憲法の起案、制定。
・内閣制度の導入。初代内閣総理大臣に就任。

伊藤博文公が千円に復活してほしいですね。

皇紀2679年わが国繁栄


聖帝明治天皇陛下の全国巡幸と陛下の大好きだった西郷隆盛

2019年08月09日 | 聖帝明治天皇陛下の全国巡幸と陛下の大好きだった西郷隆盛
聖帝明治天皇陛下の全国巡幸と陛下の大好きだった西郷隆盛


明治天皇陛下は全国に巡幸を行いました。

明治天皇陛下の巡幸

 行動派の明治天皇陛下は、即位してまもなく日本中を巡幸しています。

その数は97回です。

一番最初は明治5年に始まりました。

日本全国行幸しました。

明治9年に東北、
明治11年に北陸・東海道、
明治13年に中央道、
明治14年に東北・北海道、
そして明治18年に山陽道へと
巡幸を続けます。

このおかげで、土で固められていただけの道路がどんどん改善されていくのです。

巡幸について面白い話が残っています。

一戸兵衛(明治神宮宮司、陸軍大将)の証言です。

《あるとき、明治の初年におこなった最初の西国巡幸のお話をされました。

陛下はいつになく高い声で、

そのとき乗った船「龍城」の玉座が畳2畳あったこと、

西郷隆盛が供奉長
(ぐぶちょう)だったこと、
そして、どういう問題があったのか、
その「龍城」が浅瀬に乗り上げてしまったことなどをお話になりました。

30年以上前のことを偲ぶかのように「あのときは西郷が怒ってのう」
と仰いました。

そのとき西郷は艦長の失敗に怒り狂い、刀を抜いて艦内にあったスイカを切って怒りを静めたそうです。

このときが私が最初に玉音(明治天皇の声)を聞いたときでした》

 明治天皇陛下は、西郷隆盛が大好きでした。
だから、西南戦争で敵となっても許しました。
西郷隆盛の銅像を上野の山に作ることを認めるんですね。