その大名の名は尾張藩主・
徳川宗春(とくがわむねはる)。
宗春は初めて藩主として
領国である尾張名古屋に入る(お国入り)の時の服装からぶブッ飛んでいました。
質素倹約の将軍徳川吉宗のときに
派手なファッションはダメ、芝居や遊郭もダメ、祭りもダメ、ぜいたくな食事もダメ「ぜいたくは敵!」。
それに対して
「質素倹約とか、たわけたことやっとったらいかんがね!」
宗春の信条は、
「政治で大事なのは締め付けじゃなくて愛と勤労と遊び開放」
『温知政要』を、必死な思いで質素倹約に耐えていた将軍・吉宗にも贈呈した。
「ぜいたく禁止」により制限されていた芝居の興行を奨励。
年に1回だった芝居興行を年に100回に爆増させました。
禁止されていた藩士の芝居見物も解禁。
さらに、「風紀が乱れる」として認められていなかった遊郭の営業を公認。
結果、名古屋には3つの遊郭ができました。
さらに、「倹約のため派手な娯楽は控えろ」と幕府が命じていたにもかかわらず、盆踊りなどのお祭りを盛大にやりました。
ある盆踊りに至ってはなんと1カ月半も盆踊りが続けられた。
土派手徳川宗春は幕府の将軍吉宗に怒られて制限されますが、徳川宗春はおもしろい異色の殿様ですね。
おもしろい。
徳川宗春(とくがわむねはる)。
宗春は初めて藩主として
領国である尾張名古屋に入る(お国入り)の時の服装からぶブッ飛んでいました。
質素倹約の将軍徳川吉宗のときに
派手なファッションはダメ、芝居や遊郭もダメ、祭りもダメ、ぜいたくな食事もダメ「ぜいたくは敵!」。
それに対して
「質素倹約とか、たわけたことやっとったらいかんがね!」
宗春の信条は、
「政治で大事なのは締め付けじゃなくて愛と勤労と遊び開放」
『温知政要』を、必死な思いで質素倹約に耐えていた将軍・吉宗にも贈呈した。
「ぜいたく禁止」により制限されていた芝居の興行を奨励。
年に1回だった芝居興行を年に100回に爆増させました。
禁止されていた藩士の芝居見物も解禁。
さらに、「風紀が乱れる」として認められていなかった遊郭の営業を公認。
結果、名古屋には3つの遊郭ができました。
さらに、「倹約のため派手な娯楽は控えろ」と幕府が命じていたにもかかわらず、盆踊りなどのお祭りを盛大にやりました。
ある盆踊りに至ってはなんと1カ月半も盆踊りが続けられた。
土派手徳川宗春は幕府の将軍吉宗に怒られて制限されますが、徳川宗春はおもしろい異色の殿様ですね。
おもしろい。