ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

貧困から勤勉と勤労で成功した二宮金次郎

2019年12月02日 | 清少納言
貧困から勤勉と勤労で成功した二宮金次郎
親孝行で兄弟を助けた素晴らしい偉ん人である。

大人になると凄さがわかります。

二宮金次郎(唱歌)

1.柴刈(しばか)り繩(なわ)ない 草鞋(わらじ)をつくり、 親(おや)の手を助(す)け弟(おとうと)を世話し、 兄弟(きょうだい)仲(なか)よく孝行(こうこう)つくす、 手本(てほん)は二宮金次郎。

2. 骨身(ほねみ)を惜(おし)まず仕事(しごと)をはげみ、 夜(よ)なべ済(す)まして手習(てならい)読書(どくしょ)、 せはしい中(なか)にも 撓(たゆ)まず学(まな)ぶ、 手本は二宮金次郎。

3. 家業大事(かぎょうだいじ)に費(ついえ)をはぶき、 少(すこ)しの物(もの)をも粗末(そまつ)にせずに、 遂(つい)には身(み)を立(た)て人(ひと)をもすくふ、 手本は二宮金次郎。

貧困から勤勉と勤労で成功した二宮金次郎

2019年10月01日 | 清少納言
貧困から勤勉と勤労で成功した二宮金次郎
親孝行で兄弟を助けた素晴らしい偉人である。

大人になると凄さがわかります。

二宮金次郎(唱歌)

1.柴刈(しばか)り繩(なわ)ない 草鞋(わらじ)をつくり、 親(おや)の手を助(す)け弟(おとうと)を世話し、 兄弟(きょうだい)仲(なか)よく孝行(こうこう)つくす、 手本(てほん)は二宮金次郎。

2. 骨身(ほねみ)を惜(おし)まず仕事(しごと)をはげみ、 夜(よ)なべ済(す)まして手習(てならい)読書(どくしょ)、 せはしい中(なか)にも 撓(たゆ)まず学(まな)ぶ、 手本は二宮金次郎。

3. 家業大事(かぎょうだいじ)に費(ついえ)をはぶき、 少(すこ)しの物(もの)をも粗末(そまつ)にせずに、 遂(つい)には身(み)を立(た)て人(ひと)をもすくふ、 手本は二宮金次郎。

我が国の最高随筆のひとつ枕草子の素晴らしい感性

2019年08月02日 | 清少納言
我が国の最高随筆のひとつ枕草子
は素晴らしい感性だ。

をかしの明るく豊かな感覚だ。 

月のいと明かきのところみてそうだ

月のいと明かきに、川をわたれば、牛の歩むままに水晶などのわれたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ

いまの言葉にすると

月のとても明るい晩に牛車で
川を渡ると、牛が歩くのに
つれて水晶などが砕けたように、
水しぶきが散ったのは美しいものだ。

さすが我が国最高随筆のひとつ枕草子だ

建国2679年のわが国だ

我が国の最高随筆のひとつの枕草子

2019年08月02日 | 清少納言
我が国の最高随筆のひとつの枕草子は、一条天皇陛下の中宮である
藤原定子の元への出仕でたる。

父や曽祖父の血筋に連なる清少納言には豊かな教養があった。
快活で清新な気風が才能を開花させました。

三つの段から構成されています。

一 類聚的な段(るいじゅう)
~は、~ものといった書き出し

二 日記的な段

三 随想的な段

他の平安時代の文学があはれとしめらかな情感が基調に対して
枕草子は
をかしという明るい快い情趣を
基調としている。
自然や季節の美しさ、心の機微を鋭く描きだしている。

われら日本人の感性をあらためて引き出してくれた。


素晴らしい日本人の感性である。

皇紀2679年わが国

国歌「君が代」は古今和歌集にのっている

2019年07月02日 | 清少納言
われわれ国歌「君が代」は

平安時代、文徳天皇陛下からの皇子
惟喬〈これたか)親王
に仕える藤原朝臣石位左衛門公の
春日村のさざれ石を見て
詠んだ歌が「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の一首でした。

この歌は、「古今和歌集」にのることになりました。
石位左衛門は余り身分の高い人ではありませんでしたので、
「詠み人知らず」として発表された後に、この歌によって位を腸わりました。

石に関連があるので石位左衛門と改名したのです。

石位左衛門が没したのは天徳元年(一○○四年)ですが、
春日村には藤原姓は百戸以上あり、
現在も子孫の方は健在です。

国歌になった君が代ですから大貢献です。