The Night Train」 固ゆで料理人
夜の電車に乗った。ドアにもたれかかり窓を見ると、そこに見えるのは夜の街か、疲れた中年男の顔・・そう、つまり俺の顔か。
乾いた皿事件から1週間ほど経ったころ、凄く簡単な依頼が来た。1日ですむ仕事だった。
簡単だが変な仕事だった。地方から来た女性を駅でピックアップして、そのままパーティーの会場まで連れて行き、パーティーの間エスコートして、迷子になったり悪い虫が付いたり、強盗に合ったりしないようにする仕事だ。
そしてパーティーが終ったら元来た駅に送り、列車に乗せれば終わりの仕事だ。
悪い虫が付かないようにする為に俺が先にくっ付いているとは、俺はせいぜい良い虫くらいの価値しかない。そんな仕事だが、簡単に稼げると言う利点がある。
簡単すぎる仕事だが簡単すぎると断わる莫迦はいないし、俺はあいにく莫迦じゃない。
駅に着くと、依頼の電話で教えられた通りのいでたちの女性が立っていた。
そして顔を見た瞬間に俺は非常に戸惑った。昔の知り合いだった。いや、昔の知り合いにそくりだった。その女にあった瞬間、俺はまるで教会の鐘楼に登ってしまった高所恐怖症の男のように眩暈に襲われた。
。
昔知っていた女。別に何があったわけでもないが、気になっていた女。だが、知り合いにすらなれずに、やがて何処かへ言ってしまった。瓜二つとはこのことを言うのか?
俺は思わず名前を呼んでしまったが、相手はキョトンとしている。まったくの別人なのだろう。依頼人の名は・・ヴェルマだかマデリーンだかスノウホワイトだか・・今になるとどうにも思い出せない。どうしてだろう、不思議なこともあるもんだ。
彼女にそっくりな女と一緒に居る間、俺はなんとも奇妙な気分だった。本当に別人なんだろうか?俺みたいな仕事をしているやつは星の数ほど居るのに、なんで俺に依頼してきたのだろう。それもこれも偶然なのだろうか。
パーティーが終って、彼女を帰りの急行列車のホームへ送っていった。
俺は彼女が列車に乗るまで見ていた。と、突然彼女は振り返り、手を振りながらニコリと笑うと
「Ferewell<訳:サヨナラ・さらば・告別>」
と言い、そして続けて何かを俺に向って言ったのだが、運悪く列車の警笛が鳴り響き何も聴こえなくなった。
「・・・・・・」
口の動きしか見えなかった。
何故か、My Lovery<訳:可愛い・愛らしい・愛しい・愛しい人> と言ったように見えた。俺たちの仕事では「さらば」には「愛しきひとよ」が続くのが決まりになっている。俺の職業上の理由でそう聴こえたのような気がしたのだろうか?普通に考えれば初対面の女がそんな事を言うわけがない。疲れて孤独な俺の心が見せた幻影か。
なんにせよ、長いお別れの始まりなのだろう。
都会は車より電車の方が便利だ。だが俺の仕事では電車に乗る機会は多くない。
久しぶりに夜の電車に乗った。今夜は電車で帰ろう。
ドアにもたれかかり窓を見ると、そこに見えるのは夜の街か、疲れた中年男の顔か、列車に乗る間際に振り返って俺に手を振った女の幻か・・いや、窓に映って俺を見返しているのはこの顔だった。
「オマエはホントーにバカだねェ・・いいか?自分のことをジィーッと見詰め直してみろ。昔から今まで、お前に惚れる女がいたと思うかい?お前、惚れられる顔してるかい?そんなことあるわきゃ無いのはよ~く判ってるんだろう?・・・お前、又フラれたなァ・・・それに今日の仕事料も貰い忘れたじゃねえか・・ざまァ見ろ・・あ!・・おい、泣くな!泣くんじゃねェ!男が泣いちゃオシマイよォ」
パーティー用の新しい靴のお陰で靴擦れができた。顔も不味く、懐も淋しく、靴擦れも出来たもてない中年男にとって、楽な仕事なぞ無い。楽な仕事と思っても、靴擦れができる。ウィスキーを一杯やろう。今夜は盛大に酔いつぶれよう。
事務所に帰り、ドアを開けると足元に黄色いマニラ封筒が落ちている。だれかがドアの隙間から入れたのだろう。
封筒の裏にはウチノミンスキーと署名してあった。
ウチノミンスキーは常に命を狙われているやつで、人に言えないようなシゴトを手広くやっている男だ。
コイツに逆らうとなかなか楽しい目に会うことになる。
ウチノミンスキーのシゴトを断わるほど俺は度胸は無い。
仕事の内容はコンビーフかスパムに掛けるソースを教えろと言うものだった。
俺は考えるために先ずはウィスキーを一杯注ぐことにした。
引き出しを開けてウィスキーを取り出す。
何故引き出しにピストルとウィスキーが入っているのかと言うと、これがこの仕事の伝統だからだ。
ウチノミンスキーに電話をすると、兎に角カロリーが高い本物の食べ物欲しいのだそうだ。
だからコンビーフやスパムの缶詰をサッパリと食べるんじゃなく、コッテリと食べたいのだそうだ。
コンビーフやスパムにマヨネーズは定番だが、それよりもコッテリとしたいらしい。
俺は、この男の仕事はあまり請けたくないので、以前グラハム・カーと言う同業者を紹介したのだが、コイツの事は気に入らなかったらしい。なんでも
「あの、カーってヤツは、料金は高い、材料費も高い、それなのにカロリーはクソ低い!あの野朗、俺様に豆腐を食わせやがった、豆腐だぞ!信じられるか?今度会ったらアイツを豆腐にしてやる!豆と一緒に挽き肉にしてやる!そうすりゃ少しはカロリーが高い豆腐ができるだろう!兎に角なんでも良いからカロリーの高いものを教えろ、判ったな!」
そう言うだけ言うとウチノミンスキーは電話を切った。
おれはMr.カーの相棒のスティーブに電話をして、街から早く逃げ出すよう忠告してやった。
おれはいつものように高い窓に向かって夜の街を見ながら一杯やった。
向かいの安ホテルの「空室有り」の看板が俺の事務所を赤く染めている。おかげで俺の事務所はいつも赤い。日焼けサロンでも開くか・・。
看板のヴァキャンシイ<訳:空室アリ>がノー・ヴァキャンシイ<訳:満室>に変わった。
ノーヴァキャンシイ・・・ノーヴァキャンシイ・・・どういう訳か、日本の伝統料理チキンナンヴァンと言うのを連想した。
これは日本風の骨無しフライドチキンにタルタルソースが掛かっていると言う凄まじいカロリー食で、一個でローマの戦士100人隊のカロリー全てを賄えるという料理だ。これならウチノミンスキーも喜ぶかもしれない。
そうと決まれば先ずはタルタルソースから始めねばならない。
タルタルにはピクルスが必要になる。ピクルスの情報を得るためにそっち関係の情報屋に会いに行くことにした。
ピクルスのことを訊きにホットドッグ売りの屋台に行くと、そこにはリチャード・ウィドマークに似た刑事が聞き込みをしていた。
Mr,ウィドマークが帰るのを待って、大学教授のよう見えるホットドッグ売りに声を掛けた。
「おや、わが友ではないか・・まさか、ホットドッグを食べに来たわけじゃないだろ?何が訊きたいんだね?」
俺は要件を伝えたついでに、今のリチャード・ウィドマークみたいな刑事は何を訊き込みに来たのか尋ねた。
「ウム・・ホットドッグに砂糖を掛けて食べる奴を見なかったか?・・・だとさ・・・からかってんのかね?」
ホットドッグに砂糖とは・・不思議な奴も居るもんだ。
それよりピクルスだ。ホットドッグ売りがピクルスの情報を教えてくれた。
お薦めは幾つかあるが、今日はコレだそうだ。トルコのピクルス。ヒューゴ・レイツェル。
「ヒューゴ・レイツェル社はスイスの会社だが製造はトルコやインドで行なっている。こいつは甘くない北ヨーロッパ風の味つけで、酸味も強くない。そのまま食べても非常に美味しいし、タルタルソースの材料にも良いだろう。値段も高くないところも良い点だな。他にもドイツのヘングステン社のピクルスやポーランドのクラクス社のピクルスが私のお薦めだね。ところで、ガーキンスとは大きめのキュウリのピクルス、コルニションは小さ目のキュウリのピクルス。酒のつまみにそのまま食べるならコルニションが美味いが、ソースやサンドウィッチにはガーキンスが良いと思いたまえ、わが友よ」
俺は教授に礼を言って何枚かの紙幣を渡してその場を離れようとしたとき、
「我が友よ、本当にホットドッグは要らないのかね?」
と、教授に訊かれた。
俺は食事を済ませたとからと嘘をついてその場を離れた。教授はいい奴だが、ホットドッグは怖ろしく不味い・・・・どうやったらホットドッグをあれだけ不味く作れるのだろうか?
さてピクルスの次はウスターソースだ。必用なのは英国の本物のウスターソースだ。
リー・ペリンウスターソース。
これは日本のウスターソースとはまるで違うもので、アンチョビ等も材料として使うので、どちらかと言うとナンプラーのような魚醤に近いものとされている。只、販売から120年ほど経た現在でも製造法は秘密なので、詳しい事は判らない。
このソースの使用法は、料理に数滴落として味に深みを出すために使うソースだ。
欧米のソースにインスパイアされて作られた日本のソースは醤油のように料理の味付けとして掛ける使い方なので、全く別のモノだと言っていい。
ところでブルドッグソースは、その昔「犬印ソース」と言う名前だったそうだ。なんか良い名前だな。
リーペリンウスターソースは大手のスーパーマーケットやデパートメントストア、輸入食品専門店等で割りと容易に入手できるが、それは都市部の話だ。
入手困難な地域のことも考えて、ブルドッグソースや醤油でやってみる価値はあるだろう。
さて、愈々タルタルソースを作ろう。
先ずはゆで卵だ。俺は固茹で以外にゆで卵の作り方を知らない。
男は卵がハードにボイルドされるまでは、とても脆い物だということを肝に銘じておかなければいけない。
従って沸騰した鍋に卵を入れるときはトングを使わなければならない 。
卵を茹でている間にオニオンとピクルスを刻む。
出来るだけ細かく刻まなければならない。これが大きいと美味く出来ないからフードカッター等を使うと良いかもしれない。
刻み終わったら二つを混ぜて塩コショウをして暫し寝かせる。
さて卵がハードに茹で上がったら、皮を剥き、ポテトマッシャー等で荒く潰してやる。
オニオンとピクルスを固く絞り、マヨネーズを合わせる。
プロの技をプロから教えて貰った。プロとやる仕事は気持ちがいいもんだ。
プロはレモンジュースを入れるそうだ。そして必ずウスターソースをティースプーン3~4杯入れる。勿論リー・ペリンウスターソースだが、今回はブルドッグソースを入れてみよう。
只、先にも言ったとおり、本場のウスターソースと日本のウスターソースはまるで別の物だから、仕上がりもまるで違う物になった。そこで、遊びついでにカレーパウダーをほんの少しだけ入れることにした。
これが大正解だった。ビンゴ!ってやつだ。ウスターソースを入れることによってタルタルソースにかすかだが香りと味のコクが出る。これがプロのコツって奴だ。憶えておいて損はない。
タルタルソースの名前の由来は中央アジアのタタール人から来ているらしいが、なぜこれがタタール人に関係が有るのか、俺には解らない。タタール人でもバルタン星人でも違いは無いような気もするが、世の中そうもいかないのだろうと納得している。
兎に角、ソースが出来た時点で、俺の仕事は8割がた終了だ。
次はスパムだ。今回はコンビーフを後回しにしてスパムにした。ハイカロリーという点ではスパムの方が良いだろう。コンビーフがシャーマン戦車なら、スパムはタイガー戦車というところだろう。
ウチノミンスキーが喜ぶようにスパムを揚げる事にした。
素揚げとフリッターの2種類作る。
フリッターの衣は塩・胡椒・ビール・卵・小麦粉で作る。
カットしたスパムに下衣の小麦粉をふりかけ、フリッターの衣をまぶしてテンプラのように揚げる。
他に素揚げも作る。
スパム&チップス 喰えば必ず脂の報酬が返ってくる。
今回作ったスパム&チップス・タルタルソース添えを食べ過ぎないほうが良いだろう。
なんとなくフォックスアイと呼ばれる犯罪者がチョコレートに毒を入れて「食うたら死ぬで」と言う犯行声明を出したことを思い出した。
俺も出しておくか・・・「全国のオトーチャンへ。この料理、食い過ぎたら・・・死にはせんけど、太るで。気ィつけなあかんで。でも食べてくれへんかったらカエラ泣くで。ホナさいなら」
兎に角、喰っていいのは太る覚悟のある奴だけだ。
全部を一辺に食べられるような胃袋の持ち合わせが無い俺は、後でサンドウィッチにすることにした。
タルタルソースをタップリとパンに塗る。このソースはこれだけでも美味いエッグサンドウィッチになる。
スパムの素揚げと野菜を挟む。
俺にとって、スパムの一番美味い喰い方はこの素揚げサンドで決定だった。素揚げしたスパムは、一層塩分が強くなるが、そこがサンドウィッチにピッタリと決まる。
ビールはカロリーオフを選ぶ必要はあるが、それでも喰う価値はある。
ウチノミンスキーに電話をして仕事が終ったことを伝えた。
スパムとマヨネーズと卵の組み合わせにいたく満足したようだ。
「ヘイ、マヨネーズに卵を沢山入れたのはとてもいいことだ。食べ物はこうでなくちゃいけねェ。食べ物と言ったら、魚でも野菜でもねェ、食べ物ってのは肉と卵とコレステロールのことだ。お前はそのことをシッカリと解ってるじゃねえか。マッタク頭のいい野朗だぜ。今日の分の小切手はあとで若い者に持っていかせる。じゃ、また頼むぜ」
俺は小切手を東北の義援金に寄付してほしいと言ったところ、ウチノミンスキーは笑いながら
「お望みどおりに」
と言って電話を切った。
俺はチーズとタルタルソースとオイルサーディンとトマトを挟んだサンドウィッチを右手に、スコットランドのウィスキーを左手に持ち窓辺に立った。
タルタルソースは魚にも合う事は誰でも知っている。鯖の水煮にも合う。タルタルソースは誰とでも上手く付き合える奴だ。ひょっとしたらタタール人も人付き合いが良かったのかも知れない。
一杯呑むと、今日一日があれこれとプレイバックしてくる。長い長い一日は終った。
窓の下をホットドッグとシュガーポットを両手に持った男が走っていく。
その後ろからリチャード・ウィドマークに似た男が追って行く。
そして俺は靴擦れが痛んだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます