イタグレと暮らす戌年男のブログ

 イタリアングレーハウンド(イタグレ)と過ごす中で、家族、趣味、出来事についての感想などを書きたいです。
 

運動靴(ズック)で走っていた時代

2020-09-29 11:46:57 | 陸上競技・ランニング
 ランナーズ11月号、「武田薫の『マラソン日本の近代史』」に、1964年の毎日マラソンの写真が載っていました。

 オリンピック代表最終選考会。
 足元を見ると、当時のシューズがよくわかります。

 ソールが薄く、ゴムではないかもしれないけれど、スポンジ系でしょうか、一層構造だと思います。
 ミッドソールとアウトソールに分かれる前の時代。
 ソックスがずり落ちている選手もいて、ルーズソックスみたいに。スポーツ用のソックスがなかったのだと思うし、80年代に入っても、ソックタッチがあったので、まだソックスが下がってしまうということがありました。
 だから、素足でシューズを履いている選手もいます。
 さらに、文章を読むと中尾隆行選手は30km過ぎから裸足で走ったと。マメができたから。

 1964年のことは、全くわからないけれど、高校生の頃70年代半ばですが、いわゆる運動靴で長距離走をやっていました。体育の時間。ズックという呼び方もあったと思います。
 
 ナイキのシューズが違反といわないまでも、記録に影響が出過ぎているのではないかと話題になった時、「それなら裸足で走れとでもいうのか」という反応をした選手もいたという記事を読んだ覚えがあります。特に誰ということではなく。

 基本的にはそうなんだろうと思います。裸足でなくてもいいんだけれど、1964年当時のシューズならば、それによって有利不利が出ることはほとんどないと思います。

 中尾選手のマメは、気に入ったシューズなので、本番で使おうと3月の中日マラソン後、紙に包んで大事に保管していたら、中日マラソンが雨で布地が縮んでいた。それに気づかずスタートしてしまったんですね。

 ユニフォームは綿素材で、シューズも布地が縮んでしまうような素材。

 そういう用具で走っていた時代と、現在のすぐれた用具で走っている時代では、記録の比較はできないし、特にここ数年で更新されたナイキのシューズによるものは、やはりシューズのおかげというのがすごく大きいと思います。

 ドーピングとは意味が違うとは思うけれど、記録によって賞金が出るレースも多いことを考えると、何かすっきりしないものがあります。

 年代で考えると、80年代に入ってから、ソーティシリーズ等、マラソン向けの走りやすいシューズが出てきました。
 選手としては、瀬古選手はそれ以前の重さのあるシューズを好んでいたと言っているし、宗兄弟はソーティを使っていたと思います。
 そのあたりから、用具の進化が顕著になり、記録向上に大きく寄与するようになってきたと思います。

 ランナーズに載っている写真は「毎日新聞社/アフロ」と書いてあります。新聞社にはこういう貴重な写真がたくさん残っているのでしょうね。カラーですし、素晴らしい写真だと思います。


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