地元紙に横田めぐみさん関連の記事が、載っています。
このところ何回が掲載されていますが、今日は当日のことが書かれていました。
1977年11月15日。
写真は山口県萩市で家族旅行をしているもの。
お母さんと子供たち。撮影はお父さん。
それから2年後。
帰りが遅いからと家族が探しに出て、見つからないから夜9時頃県警に通報。
警察犬が足取りを追って、ある交差点でくるくる回る。そこから先はわからない。
次の文章が印象的というのか、当時の様子を思い起こさせます。
『だが脅迫電話はない』
『午前零時、いったん捜査は打ち切り。夫妻は居間の電話台の横で、眠れない一夜を過ごした』
やはり、営利誘拐が一番考えられたのだと思います。
滋さんが日本銀行勤務ということもあり、めぐみさんは誘拐された、身代金の要求があるのではないか。そういう扱われ方だったように思います。
今日の掲載写真からも、当時の生活水準を考えると、そういうことを思わせるものがあります。
その翌年の7月31日、蓮池薫さんと奥土祐木子さんが柏崎海岸から行方不明に。
こちらは、お二人がつき合っていたこともあり、駆け落ちではないかという憶測がありました。誘拐というのはあまり考えられなかったように思います。
北朝鮮に拉致された、そんなことは全く考えられず。
その点が一番大きな問題のようにも思いますが、検証的なことはないです。
日本海を渡って連れさられた、新潟市の海岸から、柏崎市の海岸から。工作員が活動していたことも知られていなかったのだとしたら、その問題はどう考えられているのか。
今は、横田めぐみさんの一刻も早い帰国を願うのみですが、あの時どうして考えられなかったのか。
用心しましょうという話があれば、下校時であれ、夏の海岸であれ、注意していたかもしれないのに、という思いもいまだに残ります。
このところ何回が掲載されていますが、今日は当日のことが書かれていました。
1977年11月15日。
写真は山口県萩市で家族旅行をしているもの。
お母さんと子供たち。撮影はお父さん。
それから2年後。
帰りが遅いからと家族が探しに出て、見つからないから夜9時頃県警に通報。
警察犬が足取りを追って、ある交差点でくるくる回る。そこから先はわからない。
次の文章が印象的というのか、当時の様子を思い起こさせます。
『だが脅迫電話はない』
『午前零時、いったん捜査は打ち切り。夫妻は居間の電話台の横で、眠れない一夜を過ごした』
やはり、営利誘拐が一番考えられたのだと思います。
滋さんが日本銀行勤務ということもあり、めぐみさんは誘拐された、身代金の要求があるのではないか。そういう扱われ方だったように思います。
今日の掲載写真からも、当時の生活水準を考えると、そういうことを思わせるものがあります。
その翌年の7月31日、蓮池薫さんと奥土祐木子さんが柏崎海岸から行方不明に。
こちらは、お二人がつき合っていたこともあり、駆け落ちではないかという憶測がありました。誘拐というのはあまり考えられなかったように思います。
北朝鮮に拉致された、そんなことは全く考えられず。
その点が一番大きな問題のようにも思いますが、検証的なことはないです。
日本海を渡って連れさられた、新潟市の海岸から、柏崎市の海岸から。工作員が活動していたことも知られていなかったのだとしたら、その問題はどう考えられているのか。
今は、横田めぐみさんの一刻も早い帰国を願うのみですが、あの時どうして考えられなかったのか。
用心しましょうという話があれば、下校時であれ、夏の海岸であれ、注意していたかもしれないのに、という思いもいまだに残ります。
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