SKE48 松村香織、グループ支えた立役者としての一面 “努力”と“工夫”で登り詰めたアイドルの道
「初期の松村さんは、ようやくオーディションに受かり3期生としてデビューするも、昇格もチームEメンバーに入ることもできずにいました。ただ、なかなか芽が出ない中でも、ブログはすごく長文でしたし、MCなどのコメントは彼女にしかできない秀逸なものばかり。さらに、Google+では当時まだ定着していなかった動画配信をはじめるなど、印象に残るための工夫を怠らずにやっていた印象です。結果、2012年に「ぐぐたす選抜」になることができ、同年『AKB48 27thシングル選抜総選挙』では34位で初ランクイン。10thシングル「キスだって左利き」の選抜に選ばれ、翌年には指原莉乃さんのプロデュースでソロデビューを果たすなど知名度も人気も上がっていったように思います。2015年には念願の昇格と、総選挙では選抜入りも果たしました。こういった成果を出せたのは、努力はもちろん、諦めずに工夫を凝らし続けてきたからだと思います。“異端児”と言われることもありますが、誰にも真似できない見せ方をできるから一見変わっているように見えるのかもしれません。ちなみに、3期のオーディションでは書類選考の段階で写真を規定数より多めに添えるといったこともしていたそうです。これも見落とされないための工夫ですよね」
この記事を読んでいて、いろいろ思い当たるものがあった。意外にも・・・、と書き出してみてしばし思い悩んで、そんでもってあらためて、当然なんだと考え直してみることにした。何のこっちゃと思われるかもしれないけど、松村香織さんの卒業が、「終わり」と感じられたという事実。
前田敦子さんが止めても「終わり」ではなかった。神セブンが全員卒業しても「終わり」ではなかった。けれども松村さんの卒業は「終わり」と感じられた。
ググタスで「松村違い」のワンチャンスに飛び込み、指原プロデューサーの草分けとなり、ついには総選挙で選抜入りまで上り詰めた、そんな松村さんは、AKBムーブメントにして共同体の階層構造を体現した存在だった。
個人としての能力というのは、もちろんある。あるけどそちらはメインストリームではない。存在様式そのものがAKBムーブメントと相同化してる、その動的平衡のダイナミズムの表現としてのブラウン運動のようなあり方であり、なおかつ言わばチンダル現象のような見え方だったと思う。
「初期の松村さんは、ようやくオーディションに受かり3期生としてデビューするも、昇格もチームEメンバーに入ることもできずにいました。ただ、なかなか芽が出ない中でも、ブログはすごく長文でしたし、MCなどのコメントは彼女にしかできない秀逸なものばかり。さらに、Google+では当時まだ定着していなかった動画配信をはじめるなど、印象に残るための工夫を怠らずにやっていた印象です。結果、2012年に「ぐぐたす選抜」になることができ、同年『AKB48 27thシングル選抜総選挙』では34位で初ランクイン。10thシングル「キスだって左利き」の選抜に選ばれ、翌年には指原莉乃さんのプロデュースでソロデビューを果たすなど知名度も人気も上がっていったように思います。2015年には念願の昇格と、総選挙では選抜入りも果たしました。こういった成果を出せたのは、努力はもちろん、諦めずに工夫を凝らし続けてきたからだと思います。“異端児”と言われることもありますが、誰にも真似できない見せ方をできるから一見変わっているように見えるのかもしれません。ちなみに、3期のオーディションでは書類選考の段階で写真を規定数より多めに添えるといったこともしていたそうです。これも見落とされないための工夫ですよね」
この記事を読んでいて、いろいろ思い当たるものがあった。意外にも・・・、と書き出してみてしばし思い悩んで、そんでもってあらためて、当然なんだと考え直してみることにした。何のこっちゃと思われるかもしれないけど、松村香織さんの卒業が、「終わり」と感じられたという事実。
前田敦子さんが止めても「終わり」ではなかった。神セブンが全員卒業しても「終わり」ではなかった。けれども松村さんの卒業は「終わり」と感じられた。
ググタスで「松村違い」のワンチャンスに飛び込み、指原プロデューサーの草分けとなり、ついには総選挙で選抜入りまで上り詰めた、そんな松村さんは、AKBムーブメントにして共同体の階層構造を体現した存在だった。
個人としての能力というのは、もちろんある。あるけどそちらはメインストリームではない。存在様式そのものがAKBムーブメントと相同化してる、その動的平衡のダイナミズムの表現としてのブラウン運動のようなあり方であり、なおかつ言わばチンダル現象のような見え方だったと思う。