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小さき花-第4章~4

2021-09-28 17:05:03 | 小さき花
 ところが、この時、私は一生涯の中において、一番優れた一つの恩寵を受けました。私はその時まだ今日のように、天の光を浴び心が照らされておりませんでしたが、「唯一の真の榮譽というのは永遠に続くところの榮譽であって、これを受けるには強いて優れたわざをするとか、人目を惹くような事をする必要がない、ただこれに必要なのは、却って反対になるべく一目を避けるよう、また自分自身にも知られないようにして、ただ天主さまのために力を尽くすという事である」という事を悟されました。それで私は榮譽を受けるために生まれた者であると思い、この目的に達する方法を探しておりますと「私にとっての榮譽はこの世間の人々の目に現れない榮譽であって、聖女になるに限る」というお諭しをも受けました。その時分、私は殊に欠点の多き者で、また数年間修道院生活をしている今日でも、やはり不完全なものであると想うと、聖女に倣うなどと望むのは、いかにも大胆であると思われるかもしれませんが、実際、私はなお今日でも続いて大聖女になろうと大胆な希望を持っているのであります。

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-第4章~3

2021-09-27 17:05:03 | 小さき花
私は英雄豪傑の事柄の書いてある書物を読むときに、折々人生の真の方面を充分に悟る事が出来ませんでした。そしてこのフランスの英雄・女傑・ことに聖女なるジャンヌダルクの事柄を読んで、深くその愛徳的動作に感じ、これらの人々に倣いたいという望みが起こりました。

読んでくださってありがとうございます。yui

小さき花-第4章~2

2021-09-26 16:55:48 | 小さき花

 また、私は御絵を見たり、読書をすることが楽しみでありました事を申し上げませんでしたが、ポリナから見せて貰いました美しく綺麗な御絵のおかげで、私に善徳を行う為に余程励みとなり、一番愉快な喜びと強い感じを以って徳を行う心を引き起こさしめました。これを見ながら時間が経つのを忘れてしまいます。特に私等の愛の激しさのために囚われた聖子の絵…即ちイエズス様を愛する霊魂が小さき花にかたどられ……聖櫃の中に在すイエズス様と共に描かれている御絵などを見て、精神が恍惚となって、ああ私もこの小さき花のごとく、清く身を捧げてイエズス様を慰めたい、聖櫃に近づいて御眼差しを受けたい、そして御手づから育てられ、摘み取られたいような心地が起こります。また私はあまり遊ぶことを知りませんでしたから、読書を何よりも楽しみとしておりました。幸いにも姉達はいつも私の年齢に適応した書物を選んで、これによって私に清き慰め楽しみを得させると同時に知恵と心に良き滋養を与えるように計ってくれました。しかし、この好きな読書も僅かの時間に限られておりましたので、たとえ一番面白いところを読んでいる時でも、時間が来ればすぐに止めておりましたが、これが己に打ち克つ徳となり大いなる犠牲となっていたのであります。

読んでくださってありがとうございます。yui


聖ラファエラ・マリアの伝記 リンク先を 修正

2021-09-26 09:39:59 | 無料ダウンロード先

聖心侍女修道会の創立者 聖ラファエラ・マリアの小伝、伝記、霊的手記が公開されていて 無料で読む事が出来ます。

御存じのない方もいらっしゃると思いますので、ご紹介させていただきます。

以前ご紹介したのですが、場所が修正されています。+ 霊的手記が追加されています。

聖心侍女修道会日本管区 から、入って頂きまして、

共同体 私たちの歴史 聖心侍女修道会の歴史 に 小伝があります。

 

伝記は、こちらにありました

 「いしずえ」という邦訳です。

以前は、本の表紙があったと思うのですが、いまは無くなっています。

 

霊的手記は、こちらにありました。

「神とのかたらい」という邦訳です。

個人的には、伝記と霊的手記は、Wordで縦書きにして文書校正してからPDF化して読んでいます。

 

霊的手記は。横書きで約70ページ、縦書きで約80ページあります。

お忙しい中を、ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。 yui


小さき花-第4章~1

2021-09-25 16:19:12 | 小さき花
 ここで私はポリナが「カルメル会修道院」に入って後。最初に訪問した時の事を思い出しました。この愉快な日の朝、もし後に私がこの修道院に入るならどういう名をつけられるであろうかと思いました。ここには、今一人イエズスという童貞がありますから同じ名をつけることが出来ませんが、私はどうしてもテレジアという美しい名を改えたくない…と考えているなか、ふと深く愛しておりました幼きイエズス様の事を思い浮かびましたので、おお、それよ、もし私が「幼きイエズスのテレジア」と呼ばれるようになるならば、どんなに幸せであろうかと想いに耽っておりましたが、そしてこの希望を、母様に打ち明けないように注意しておりましたのには、その時私との談話の中「私の愛する小さき娘よ、あなたが私等の仲間に入るとき「幼きイエズスのテレジア」と命名しましょう」と仰せられました。これを聞いた私は大いに喜びの情を抑えることができません、このように私の望みと母様の思いと幸いに一致しましたのは、全く慈しみ深い我が親愛なる幼きイエズスの賜(たまもの)であると、厚く感謝いたしました

読んでくださってありがとうございます。yui