こんにちは!
常若美人道を提唱している、カラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
前回、前々回のブログで 故郷に居る父が、グループホームに入ることになった顛末を書いてきましたが、この記事でまとめます。
無意識の偽善って こういうこと?
今年の7月頃、私は広島の実家に帰り、父を入所させるためのグループホームや特別養護老親ホームを探しておりました。
その時に知り合いの人からよく言われたのは、「どうして家族で面倒をみてあげないの?」
「施設に行くと お父さんが可哀想よ」ということでした。
表面的に関心を寄せて、耳に痛い言葉をかけてくださるのです。
一緒に暮らしたくても、家族それぞれに住居や仕事があります。
認知が進んでくると 一人で家に置いておくと、常に危険と隣り合わせです。
やむにやまれぬ状況で入所探しをしているのに、上辺だけの同情心で「可哀想」という言葉を吐かれるのは ちょっと無神経だなと思いました。
私は、表面何気ない顔をして事に当たっているけど、ちょっと辛い心境で、泣きそうでした。
おそらく言っておられる方には 悪意はないのでしょうが、「無意識の偽善」とは、こういうことなのかと思いました。
自分の家に居るということが 本当に幸せ?
認知症の父が、一人で自宅に居るという実態はこうです。
・朝、目が覚めて、何を着て良いかわからない。
・訪問介護さんが来られて、朝ごはんを食べさせていただき、薬を飲ませていただく。
・テレビが友達。
・一日中、ひとりで家の中で過ごし、誰と言葉を交わすこともない。
・届けてもらうお弁当を食べ、自分が何をしたら良いのかわからず、途方に暮れながら不安な一日を過ごす。
・訪問介護の方が来られて、夕飯を食べているかどうかチェックしていただき、薬を飲まされてベッドに入れていただく。
・暑くなっても、寒くなっても、冷暖房のコントロールができない。
・冬に向かうと 火事を出すおそれがある。
・夜中に倒れても 誰にも気づいてもらえない。
そのような状態が 毎日続いていくのです。
ただ生きながらえているだけで、自分の家に居続けることが、本当に幸せなのでしょうか。
それよりも 朝目覚めたら、声をかけてくれる人がいて、一日中、気にかけてくれる人が傍にいて、温かい食事をいただくことができ、その気になれば、周りの人に話しかけることもできる。希望すれば、散歩にも連れて行ってもらえる。
私には このような生活の方が、より快適で人間らしいと思います。
自分が いつか将来、グループホームや特別養護老人ホームに行くことになるとしても、私は入所を渋りません。
父もグループホームでの暮らしが快適であることを 理解してくれたら良いと思います。
私にできること
もちろん、持ち物の点検や、こまごまとした用事は、グループホームの相談員の方に相談しながら行っていきます。
しかし、入所に関して、父にいくら状況を説明しようとしても、今もこれから先も、聞く耳を持たないでしょう。
人の気持ちを変えようと思っても 変えることができないことは よく承知しています。
だから何も言いません。
私にできることは、祈ることだけです。
父がグループホームで、毎日をなんとなくいい気分で過ごしてくれますように。
いつの間にか そこでの生活になじみ、受け入れてくれますように。
緑がいっぱいの自然の中を 散歩する父の頭上に、光のシャワーがたくさん降り注ぎますように。
このようなことを 毎朝、目が覚めるとすぐに祈ります。
父にも あたなにも 私にも、光のシャワー‐がたくさん降り注ぎますように。
ではまたね
ごきげんよう
太陽の光には、人に良い影響を与える素晴らしいパワーがあります。
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