城名 |
下笠田城 |
読み |
しもかさだじょう |
住所 |
下笠田字旭1550 |
築城年 |
天正年間 |
築城者 |
多湖刑部左衛門か |
形式 |
平山城 |
城主 |
多湖大蔵橘実元 |
系統・家臣 |
北西四十八家 - 北畠氏 - 織田氏 |
標高 比高 |
歴史 |
建武年間(北朝暦で1334年~1336年) 南北朝のはじめころ、多湖刑部左衛門がこの付近を押領し、代代居住して付近に大きな勢力をもっていた。 |
永正7年(1510)北畠氏が北勢地方に勢力を伸ばしたときは北畠氏に従う。 |
永禄11年(1568)織田信長の北勢攻略(2回目)にあたっては織田に降服するなど、地方豪族の苦しみをなめている。 |
天正17年(1589)11月、豊臣秀吉は小田原の北条氏に宣戦を布告し、諸大名に出陣を命令した。多湖大蔵介橘実元も小田原に出陣した。 |
翌18年(1590)4月、秀吉軍は小田原城の出城を落として包囲網を完了したのであるが、この戦で多湖大蔵介は戦死した。41歳であった。 |
多湖家は江戸時代に村庄屋となり、城跡を宅地として現在も続いている。 |
墓は員弁町下笠田の北墓地にある。北墓地は現在笠田新田の多湖姓の家々の墓地になっている。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
現地 |
地目:宅地 立地:台地 |
地図 |
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます