👆 城を二分する道路 👆 向かって左手山の階段を登る
👆 階段が急角度に曲がったところに 👆 Ⅱ郭の空堀と思われる
👆 空堀は半円状に長く続く 👆 道を挟んでもう一方の郭
👆 Ⅱ郭から空堀越に主郭を望む 👆 主郭
👆 主郭西奥の竹藪に削平地 👆 村の端から遠景
城名 |
太田城 |
住所 |
津市安濃町太田宮城・宮後 |
築城年 |
永生年間(1504~1520) |
形式 |
平山城 |
遺構 |
郭、空堀、土塁 |
規模 |
東西40m×南北150m |
城主 |
平松通資 - (甥)道善 |
一族 |
北畠家家臣。 |
標高 40m 比高 22m |
歴史 |
「平松家系図」によると兵乱の世の中に野盗から村を守るために、村人の要請により北畠材親平松六郎兵衛通資を遣わした。永生年間(1504~1520)にここに築城し、その後二代目の甥の平松通善などが居城したと伝える。詳細不明なところが多い。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
環境 |
安濃の穀倉地帯を比高20m位で西に見渡す丘陵にある。安濃川まで1.4Kmで見渡せる。 |
現地 |
東西に長く郭が二分する。中央の道が後世のものかとも考えられる。 |
感想 |
平松家系図による、村人の要請で国司家が役人を派遣して城を造り監視するなど、国司家も意気な計らいをしたものだ。戦国の世にあってホッとする話である。 |
地図 <!-- 太田城 --> |
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