奥佐田城
城名 |
奥佐田城 |
読み |
おくさたじょう |
別名 |
笹山城 |
住所 |
津市白山町佐田味噌谷 |
築城者 |
堀山氏 |
形式 |
山城 |
遺構 |
郭、土塁、空堀 |
規模 |
東西90m×南北140m |
城主 |
堀山次郎左衛門(小倭・おやまと七人衆の一人) |
標高 129m 比高 50m |
歴史 |
天正4年(1576)具親蜂起の時、七人衆として堀山もこれに一味して城に立て籠り反乱した。 |
織田信雄は滝川、柘植、長野に命じてこれを抑えた。 |
天正12年(1584)小牧長久手の戦いの時、秀吉軍の蒲生勢によって口佐田城、南出城が落とされ、奥佐田城も包囲された。 |
具親は安保大蔵少輔をつかわして和睦させ堀山は城を明け渡して退いた。 |
江戸期に蒲生家の家臣笹山小次郎がこの城を守っていたことから笹山城とも呼ばれる。 |
書籍 |
津の城跡50選 三重の中世城館 |
経緯 |
この地は小倭郷の中心地で小倭七人衆の主な人物が居住していた。(小倭郷=垣外、稲垣、上ノ村、南出、佐田など) |
阿坂城の支城群を構成し北畠家臣として格式が高かった。満賀野甚九郎(三ケ野)、新(上ノ村)、臼杵与四郎(谷杣)、吉懸三太夫(南出)、堀山式部少輔(奥佐田)、森長(口佐田)、稲垣実秀(稲垣)の性を名乗っていた。 |
小倭七人衆を 稲垣氏 臼木氏 岡村氏 小泉氏 堀山氏 満賀野氏 吉懸氏とする説もある。 |
地図 |
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