六呂木城
城名 |
六呂木城(ろくろぎじょう) |
住所 |
松阪市六呂木町 |
落城年 |
天正11年、具親の挙兵に与して落城した。 |
築城者 |
六呂木氏(むろきし) |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪、空堀、切岸 |
規模 |
東西110×南北70m |
城主 |
六呂木十之右衛門実忠 |
標高 |
140m |
比高 |
20m |
歴史 |
天正11年(1583)多気郡波多瀬城の城主波多瀬三郎実徳は15歳で、叔父山副十六兵衛実有・六呂木十之右衛門実忠兄弟とともに北畠具親に与して挙兵する。 |
大河内方面からくる織田信雄軍(小川新九郎 注1)を六呂木城と鳥羽見峠(安保太蔵 注2)で迎え撃ったが勝ち目無く坂内方面へ逃げた。 |
波多瀬三郎実徳、叔父山副十六兵衛実有・六呂木十之右衛門実忠兄弟は捕らえられ、船江で処刑された。 |
書籍 |
三重の中世城館 大石公民館だより |
一族 |
坂内家の家系。波多瀬三郎実徳の叔父・山副十六兵衛実有の弟 |
現地 |
大通寺の西上に舌状に突出した小さな丘頂にある。現在は畑地で削平地が数段ある。 |
感想 |
六呂木町(ろくろぎちょう)の大通寺の西方にある。比高40m位の張り出した丘陵の頂部は平坦である。一帯は開墾され当時の様子を推し量るには苦しい状況。当日は梅の花や水仙の花が穏やかに迎えてくれた。 |
「勢陽五鈴遺響」に「六呂木某居ス処ナリ 北畠具親ニ属シテ亡フ」とある。 |
松阪市の遺跡登録の地図から推定できる。 |
注1 小川新九郎長保 織田信雄の家来で小川新九郎覚書を著した。五箇篠山城攻めに負傷しながら大きな働きをした。 |
注2 安保太蔵太夫 野呂越前守が二見合戦で討死後の五箇篠山城主 |
地図;
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