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六呂木城

2017-08-07 22:58:54 | 松阪の城

六呂木城

 

城名
 六呂木城(ろくろぎじょう)
住所
 松阪市六呂木町
落城年
 天正11年、具親の挙兵に与して落城した。
築城者
 六呂木氏(むろきし)
形式
 山城
遺構
 曲輪、空堀、切岸
規模
 東西110×南北70m
城主
 六呂木十之右衛門実忠
標高
 140m
比高
 20m
歴史
 天正11年(1583)多気郡波多瀬城の城主波多瀬三郎実徳は15歳で、叔父山副十六兵衛実有・六呂木十之右衛門実忠兄弟とともに北畠具親に与して挙兵する。
 大河内方面からくる織田信雄軍(小川新九郎 注1)を六呂木城と鳥羽見峠(安保太蔵 注2)で迎え撃ったが勝ち目無く坂内方面へ逃げた。
 波多瀬三郎実徳、叔父山副十六兵衛実有・六呂木十之右衛門実忠兄弟は捕らえられ、船江で処刑された。
書籍
 三重の中世城館 大石公民館だより
一族
 坂内家の家系。波多瀬三郎実徳の叔父・山副十六兵衛実有の弟
現地
 大通寺の西上に舌状に突出した小さな丘頂にある。現在は畑地で削平地が数段ある。
感想
 六呂木町(ろくろぎちょう)の大通寺の西方にある。比高40m位の張り出した丘陵の頂部は平坦である。一帯は開墾され当時の様子を推し量るには苦しい状況。当日は梅の花や水仙の花が穏やかに迎えてくれた。
 「勢陽五鈴遺響」に「六呂木某居ス処ナリ 北畠具親ニ属シテ亡フ」とある。
 松阪市の遺跡登録の地図から推定できる。
注1 小川新九郎長保 織田信雄の家来で小川新九郎覚書を著した。五箇篠山城攻めに負傷しながら大きな働きをした。
注2 安保太蔵太夫 野呂越前守が二見合戦で討死後の五箇篠山城主

 地図;



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