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中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

山田野城

2017-02-05 12:03:38 | 日本の城

山田野城

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城名 山田野城
  やまだのじょう
住所 津市白山町山田野
築城年 天正年間
築城者 長野左京進
形式 山城
遺構 郭、堀切、竪堀
規模 東西55m×南北65m
城主 長野左京進
標高 164m
比高 85m
一族 長野氏
歴史  長野左京進は北畠の家臣で永禄十二年(1569)大河内城の戦いでは籠城し日置らと共に大奮戦している。九月八日の信長軍の夜討ちに対し、反撃して高名をあげた(勢州軍記)。
経緯  その後は、北畠家を継いだ信雄に従い、天正四年(1576)十一月の北畠一族粛清の時、三瀬にて具教を槍で一突きし殺害した。(勢州兵乱記)
   その後も信雄が不利と見るや秀吉とよしみを通じ蒲生氏郷方に内応し戸木城の合戦に参加した。
   同じ氏郷方に内応している小倭の岡村(家所)修理允とは日ごろから仲悪く、遂に津の半田山で殺された。
書籍  北畠物語、勢陽雑記
環境  白山町山田野の北西にある比高約85mの山頂にある。
現地  本来は薬師堂の西辺りから尾根伝いに攻めるべきだが各種地図情報により開発された分譲地の道路から攻めることにした。
   青山高校の進入路に入りその脇を抜け開発分譲地の道路を東寄りに進む。道路は元は舗装路だったがかなり痛んでおり慎重に進めた。
   道路網のほぼ東端辺りが探索地になるが最後は道路状況が最悪で車の進入は不可能になる。手前に車を止めて徒歩で200m程で道路の突当りに着くと左手が城郭である。
   やや平坦な山頂に一段高く台地を作り堅固な土塁で四方を囲み屋敷を作った。南に主郭虎口を設け馬出様の小さい郭が付属する。
   主郭の土塁はしっかり残っている。櫓台は無いようである。
   主郭西側にⅡ郭と考えられる広いスペースがあり低いがほぼ全周に土塁が巡っている。その西側は緩く傾斜して下がっていく。防御性としては弱点かもしれない。
   北側には大きな堀切がひとつ備わっている。その先は尾根に繋がっている。
   東側は一段下がって帯郭になっているが途中に二つ縦堀が見うけられる。その南は平削地でⅢ郭になるようだ。
   主郭の北西側のⅡ郭との間に溝が始まり北の端に窪地がある。珍しい構造物である。
考察  長野左京進は北畠家臣から信長方になったが、よく働いたのか滝川勝利ら信雄の老臣らと肩を並べていたらしい。更に秀吉側に寝返るなど主君を三度も変えた。それだけ敵も増えただろうし、それに相応しい家臣団を擁していたと考えられ、城も堅固なものであったと思われる。
感想  小振りだが各種機能を備えた合理的な城だと思った。東側など切岸の高低差もあり見応えがある。
地図  地理院地図
   https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&authuser=0&mid=1sE7i85-3qeA10HRT1ZDejbj3Ddw&ll=34.64503183294201%2C136.31378620170062&z=19

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