城名 |
美濃金山城 |
読み |
みのかねやまじょう |
別名 |
兼山城 |
住所 |
可児市兼山 |
築城年 |
1537年 |
廃城年 |
1601年 |
築城者 |
斎藤正義 |
廃城者 |
石川氏 |
形式 |
山城 |
遺構 |
曲輪、石垣、 |
城主 |
森長可など |
標高 280m 比高 185m |
歴史 |
森可成(よしなり)-長可(次男・ながよし)-忠政(六男) |
経緯 |
1601年石川氏によって解体、犬山城の改修に使用される。天守移築説は否定されている。 |
参考 |
Wikipedia 他 |
現地 |
石川氏が犬山に材料を持っていってから、江戸時代は尾張藩の山となり立ち入り禁止、明治時代は皇室の管理、昭和20年からは国有林となる。 |
昭和28年住民に払い下げられた。長年にわたり利用できなかったことが当時の様子を残すことになった。 |
破城の様子は全国のどこよりも生々しいと思った。 |
考察 |
岩村城の六段壁に匹敵する石垣の様子が主郭の西側などに伺える。一時森長可や忠政が岩村城を接収していたことが関係しているのかも知れない。 |
感想 |
木曽川を20kmほど下り犬山城に利用された金山城の古材は今生かされている。 |
金山城は破城され、石垣だけが残り無残な景色となったがこれはエコなことなのかもしれない。 |
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