城名 |
山出城 |
住所 |
津市安濃町草生 |
形式 |
山城 |
遺構 |
郭、空堀、土橋、土塁、井戸、石積土塁 |
規模 全体;東西200m×南北100m |
東郭(主郭群);東西100m×南北80m |
西郭(出郭群);東西40m×南北60m |
築城・城主 |
小河忠左衛門(三国地誌) |
長野工藤家・豪族、草生城主;草生式部少輔(注1)の家臣 |
標高 225m 比高 130m |
歴史 |
永禄年間に本城の草生城が信長により落城しているのでその頃落城したと思われる。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
環境 |
字名を「城が峰」という。 |
経ヶ峰への入口に位置する。草生城を懐に抱くような位置関係にある。 |
視覚180度近くを維持しながら距離10Km程度の視界が効く、絶好の位置にある。 |
現地 |
南に林道が取り付けられている。途中の三叉路から北上するがここからは徒歩である。 |
考察 |
草生城主の家臣でありながら頭上の山頂に城を築くという離れ業をやってのけられたのは主君の信頼があった筆頭家老であったと思われる。 |
感想 |
郭群は面積を稼げる地形の有利性から余裕を持った造りとなっている。中世の山城としては数少ない館郭を備えていたと想像させる郭の造りとなっている。 |
構造は凝った造りではなく最低必要な物で構成された広さには余裕のある山城という雰囲気である。 |
注1 |
天文年間(1532~1554)草生式部少輔が城主であった。大よそ100年強の歴史をつなぐことになる。 |
地図 |
<!-- 山出城 -->
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