城名 |
一之瀬城 |
読み |
いちのせじょう |
別名 |
一之瀬御所 |
住所 |
度会郡度会町一之瀬 |
築城年 |
延元年間(1336-1340) |
築城者 城主 |
愛洲氏 - 田丸直昌(天正3年、1575) (田丸直昌は岩出城から転封。この時、”一之瀬愛洲の古城”といわれ、愛洲氏は五か所城へ本拠を移していて廃城となっていたらしい。この後、直昌と一之瀬城のことが気がかりである。) |
形式 |
平山城 |
遺構 |
郭、櫓台、堀切、空堀 |
規模 |
70m×190m |
標高 88m 比高 14m |
歴史 |
延元元年~2年(1336-1337)、宗良親王が庇護され約一年間、一之瀬に滞在したが間もなく東国へ出立した。 |
経緯 |
庇護していたのは土豪、愛洲氏であろうといわれている。愛洲氏は宝徳年間(1449-1452)の頃には五ケ所城に本拠を移していたといわれているのでほぼ100年の期間、ここを政所にしたと考えられる。 |
書籍 |
三重の中世城館 日本城郭大系 宮川流域の遺跡を歩く(田村陽一著) |
環境 |
脇出という平地の中央に標高88m比高14mの丘陵があり現在は一之瀬神社となっているところが城跡である。三方を川が巡る。 |
現地 |
一之瀬神社によりかなり改変されているが6m程の切岸を持つ主郭を中心に大きな空堀と二条の堀切などで防備している。南端の見張台は崖に直面した岩場で当時をしのばせる。 |
西方400mには青木山城がある。 2016年4月に度会町史跡指定に際して、一之瀬城と青木山城は一体の城としてとらえることとなった。 |
考察 |
一之瀬城については史料が少ないとされているのでまだまだ研究の余地がある。 |
感想 |
築城時期は南北朝の初期で戦いの城かと思いきや守るに固いとは言い難いかわいらしい丘城である。おそらく一之瀬御所といわれるように愛洲氏の館と考えるのがよいのではないだろうか。 |
地図 |
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