今日は、阪神・淡路大震災から26年目の1月17日です。震災当日に亡くした父の名は、神戸市東遊園地の
「慰霊と復興のモニュメント」内に刻まれています。
新型コロナウイルス感染症拡大の真っ只中にあっての追悼の日、神戸ははるか遠く、また一昨年に参加した
「東京での慰霊の集い」も無く、静かに自宅で今日の日を過ごしています。 今日の梅は、昨日の散歩の際に録したものです。
■千葉県の新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく協力要請=「不要不急の外出・移動は自粛してください。特に、20時以降の不要不急の外出の自粛を徹底してください。」
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今日は「阪神、淡路大震災」の日でしたね!
ちょうど子育てが落ち着き、フルタイムで再就職をしたばかりのときでしたので、よく覚えています。
ビルが崩壊し、高速道路が横になり、時間がたつごとにニュースで流れる映像は、ショッキングなものでした。
お父様は、その時に亡くなられたんですね!
何年経っても、悲しみは消えないと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
実家は神戸市灘区の五毛天神近くで、大変な中にあっても場所的には大丈夫だと信じて出勤しました。が、正午過ぎに勤務先に母から電話があり、父のことを知らされました。
一旦、自宅まで帰り、妻と息子と一緒に神戸に向かったのですが、新幹線は途中止まり、なんとか大阪まで辿り着き、そこから神戸まで行って下さるタクシーを見つけるのにどれだけの時間がかかったか。
忘れもしない内山さんという個人タクシーが事情を汲んで下さり「行けるところまでいきましょう」と出発してくださり、例の甲子園球場脇の高速道路の崩壊など悲惨な光景を横目に何とか灘区の実家まで走って頂きました。
正確な時刻は覚えていませんが、実家到着は翌日の午前5時頃ではなかったかと記憶しています。
そこからが、また大変でした。普通の葬儀など出来る状況になく、火葬場の順番待ちがひどく、多くは軽四などトラックで棺を搬送する姿が当たり前でした。
10日間ほどで一通りの現地でできる対応をして、父の遺骨と母を連れて今の外房の住まいに戻ったときに、「平常であることがかえって異常にみえる感覚」となっていたのを鮮明に覚えています。
寄り添うコメントを有り難く拝読しました。ありがとうございます。、
、
後からテレビや新聞で見る光景が信じられませんでした・涙
あの日福山のお友達が名古屋にお見えになることになってました。
あの震災でお父様が犠牲になられたのですよね。
良くたどり着けたと思います。
皆さんのお顔を見てお母様はどんなにか心強かったでしょうね。
心よりお父様のご冥福をお祈り申し上げます。
お母様にお父様の分まで長生きして頂きたいですね。
母についても暖かい心配りを頂きありがとうございます。