海の向こうにつながる世界
四日市のみなと
近代以降整備のすすんだ四日市港は、中部圏における代表的な国際貿易港として発展しましたが、ここでは少し観点を変えて、「みなと」をとりまく出来事のいくつかをご紹介します。
■朝鮮侵略
全国統一を終えた豊臣秀吉は、朝鮮侵略を企図し出兵します。
1592(天正20)年の出陣命令では、桑名、亀山、松坂など伊勢国の大名が「伊勢衆」として第13軍に編成されました。四日市の関わりについて詳細は不明ですが、朝鮮出兵時に四日市が伊勢国13浦(長嶋・大嶋・桑名・四日市・楠・長太・若松・別保・栗真・白子・白塚・津・松崎)に対して水主(船乗り)を割り付けたこと、慶長の役(丁酉の倭乱)では、四日市は徳川家康領であったため、家康の進言で出兵は免除されていたことが伝えられています。(『四日市市史』)
■海軍燃料廠
1939(昭和14)年、塩浜地区の沿岸部に、第二海軍燃料廠の建設が始まりました。
215万㎡の敷地に、石油精製、備蓄、補給施設がつくられました。1941年第二海軍燃料廠として正式発足しましたが、1943年には備蓄原油が枯渇し南方原油も入らないなど操業困難におちいる中、1945年の空襲で被災しました。
■四日市港米軍艦船入港対応マニュアル
私たちの平和への願いに反して、海の向こうでは戦火が絶えることがありません。
2003年11月12日、米軍がチャーターした民間船ウエストパックエキスプレス号が四日市港に入港し、人員・物資を積み込んで韓国に向けて出航しました。この時は、事前説明会で危険物の扱いは無いことを確認するとともに、入港情報も公開されました。戦後の一時期をのぞき、米軍が四日市港を利用したのは初めてのことでした。
今後も同様の事態が起きることを想定して、翌2004年、対応マニュアルが作成されました。米軍艦船の四日市港入港に際して、県民・市民への情報提供や、核兵器搭載の有無の確認などを的確・迅速におこなうために、日米地位協定による・よらない双方の場合に必要なことを定めています。
(米軍が核兵器を持ち込む場合は、日米安全保障条約上、米側から日本に事前協議を申し入れることになっています。核兵器搭載の有無の確認は国の所管であり、事前協議の申し入れがないということは、当然核兵器は持ち込まれないと判断できますが、さらなる確認のため核兵器搭載の有無について外務省北米局日米安全保障条約課長宛に文書で照会するというものです。)
(2009年5月記)