平和への願い
1945年6月18日の空襲を経験した市民の平和への願いを結実させた平和の女神像は、当初1952年の四日市博覧会の会場正面において公開されました。この時制作されたのは石膏像でした。
博覧会閉会後、1953年12月、青銅製の女神像が中央通ロータリーに建立されました。当時の新聞によると、「青銅三十貫の裸体像で平和のハトを形どって両手をひろげている」(中部日本新聞12月27日)ということで、像の高さ6尺1寸8分には、四日市空襲への思いが込められています。1993年、博物館横の市民公園に移設されました。
市立博物館では、1995年「四日市空襲」展が開催されました。また、常設展には、四日市空襲の解説コーナーがあります。
■非核平和都市宣言
四日市市では1985年3月25日、非核平和都市宣言をしています。
日本非核宣言自治体協議会(事務局:長崎市平和推進室)によると、日本の自治体の80パーセント以上が、核兵器廃絶や非核三原則を求める内容の自治体宣言や議会決議などの非核宣言を行っています。
最初の非核宣言は、1980年にイギリスのマンチェスター市で、米、ソ冷戦のさなか、核兵器の脅威をなくすため、自らのまちを非核兵器地帯であると宣言し、他の自治体にも働きかけたところ、イギリス国内の多くの自治体が賛同しました。その後、この宣言運動は世界に広がりました。日本でも、1980年代からこの非核宣言を行う自治体が増え、2013年現在では約1,500自治体が宣言を行っているということです。
管内市町村の非核宣言率100%の都道府県は、岩手、宮城、秋田、山形、千葉、神奈川、富山、石川、山梨、三重、大阪、鳥取、広島、山口、徳島、愛媛、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎の22府県(日本非核宣言自治体協議会調査2013年4月)となっています。