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諏訪公園 初めてのメーデー

2013-08-01 | よっかいち 人権の礎を訪ねて

労働者の権利としての団結      

   諏訪公園 初めてのメーデー

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 1906(明治39)年、日露戦争の記念として諏訪神社内に公園が造られ保光苑と呼ばれました。

 その後1908(明治41)年市営公園となり、1915(大正4)年、大正天皇即位式の記念事業として、図書館建築を含む拡張整備がおこなわれ、1916年に諏訪公園と改称されました。

 図書館は、1929(昭和4)年に、昭和天皇即位式の記念事業として熊澤一衛が建物を寄付、現在も交流館、児童館として利用されています。

 古くから多くの人びとに利用された諏訪公園ですが、四日市で最初のメーデーも開催されました。1931年のことです。

 伊勢新聞によると、5月1日午後1時、諏訪公園に集合した参加者は20名でした。「親方制度の撤廃」「労働者農民団結せよ」と書かれた旗を立てて、諏訪新道から関西橋・昌栄橋・築港へ出て北進、寺町通り東紡工場前・大正橋・午越八間通り・西河原町・東海道に出て左折し諏訪公園へと戻るコースをデモ行進しました。
 
 四日市では、前年の1930年、萬古焼の窯元13軒と生地製造業者(職工)70余人が、生地代の値下げをめぐって対立し、一斉休業、不売運動などを展開しています。1931年2月の全国大衆党四日市支部の発会式には、萬古焼の職工が多く参加していました。

 1931年は、国内の労働組合組織率が戦前の最高を数え、労働争議が激発した年でした。また、数次にわたった労働組合法案の上程は、この年の廃案で成立せず、労働組合法の成立・公布は、敗戦後の1945年12月のことでした。

(2009年5月記)


■メーデー略年表 
1886年 5月1日、合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟 AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求の統一ストライキ
1890年 AFLが呼びかけた8時間労働制実現のためのゼネストへの共同行動に応えて、ヨーロッパ各地やアメリカなどで第1回国際メーデー開催

【日本】
1905年 平民社でメーデー茶話会
1917年 メーデー記念集会
1920年 第1回メーデー 上野公園 1万人
1921年 第2回メーデー 東京、大阪、神戸、足尾など
1931年 四日市で初めてのメーデー開催
1936年 メーデー禁止
1946年 メーデー復活 第17回 200万人

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