私は、他人を名指しで、「偽善者」と呼ぶことはしないようにしてきた。
そうしないできたのには、いくつかの理由がある。
まず、「偽善」なる言葉の定義をどうするか、という言語表現上の問題がある。 「偽善」なる言葉を定義せず、倫理上の根拠を示さず、実例として何が偽善で何が偽善でないか区別せず、一方的に他人を「偽善者」と決めつける行為は問題と思っている。 すなわち、言葉としての「偽善」に係わる定義は、ヘイト法におけるヘイト行為に係わる定義と似ている。
定義せず、事例解釈できないなら、事例解釈しないなら、迂闊に使うべきではない。
次に、私自身は、他人を偽善者だと名指しで断罪するほど、常に品行方正で、常に誰かの手本になるような生き方でもないし、誰もが絶賛するような言動と行動の人でもない。人様の前で、道徳や日本の心を語ることもない。 誰も見ていないようなところでチョロマカシもしないようにしている。善行する場合でも、人に気づかれないようにするようにしている。
根拠なく人を貶めるようなことも好きではない。暴言を吐いたり、他人が書いた文章をパクること、下品な言論活動を何よりも嫌う。
これは、「偽善者」なる言葉を好んで使いたがる人に対する、批判である。 言葉上の定義の問題もさることながら、他人を偽善者と名指しで指摘するなら、自身の言動、行動は、他人からみて、どう映るのか、よくよく考えることだ。それすらできずして、もし連発する人がいるのなら「心構えが足りない」と説教したくなるほどである。
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