夏って暑いから嫌いって人も多いと思いますが、私はガキの頃は何といっても夏が大好きでございましたね・・。w (今はちょっと暑いのは苦手ですが・・w)
まぁ、最大の理由は夏休みがあるからなんですが、遊びも食べ物も夏限定の楽しみがあったからだと思います・・。
私の家は、3歳から東京の神田駿河台の社宅に住んでおりましたが、今ではとても考えられないような日本らしい夏でございました。
私が子供の頃と言うと、エアコンなんて何処にもありませんし、扇風機と団扇と風鈴で暑さを凌いでおりました。w
お金持ちの家では電気冷蔵庫を持っている家庭もありましたが、ほとんどは氷で冷やす氷冷蔵庫でございます。
普段は喉が渇けば水道の蛇口から水をガブガブと飲み、夏には冷たい麦茶にお砂糖を入れて飲むのが何よりも楽しみでしたねぇ・・。
そして、井戸で冷やしたスイカも美味しかったなぁ・・。w
それと、偶に頂き物でカルピスが夏の最高の飲物だったのでございます。
あとは米屋が配達する“プラッシー”とか、ラムネ、三ツ矢サイダーが夏の定番だったですね。w
小学校に上がる頃は、粉末ジュースやサイダーが出回るようになりましたけどネ・・。w
それから各家庭にはまだお風呂も無い時代でしたから、当然、銭湯通いなのでございます。
偶に、家の中や、庭で大きなタライにお湯を入れて、行水するのも夏の楽しみのひとつでございました。w
テレビもまだ各家庭にはありませんでしたから、昼間は外で遊びまわり、夜はラジオのドラマを聴くのが普通の家庭の生活パターンなのでございます。w(その頃は引き篭もりはいなかった・・。w)
そんな時代を過ごした私ですが、やっぱり夏の思い出と言えば、夏休みでございます。
朝はラジオ体操をしに学校へ行き、午前中は昆虫採集やらチャンバラごっこ、午後は学校のプールやM冶大学のプール、後楽園のプールで毎日水泳三昧でございます。
(当時は神田でもセミやら蝶がいくらでも獲れたのです。)
そして7月の終りか、8月の初旬頃、恒例の3泊4日の家族旅行で鳩ノ巣渓谷のキャンプか、葉山の海の家へ海水浴へ行くのが、我が家の夏の最大のイベントだったのでございます。w
宿題の絵日記にも毎年同じパターンになっちゃうのですが、昆虫採集とプールでの水泳、葉山での海水浴、両国の花火を毎年描いた記憶があるのでございます・・。w
小学校3年になりますと、都会からまだ田舎だった世田谷区へ引っ越しましたので、遊び方も大分変わってきました。
都心の小学校は、大きなグランドが無い変わりに、プールはかなり昔からありましたが、世田谷区はその当時は、団地の建設ラッシュで急激に人口が増えまして、小学校や中学校は新しく建てられたのでございます。
世田谷区の新設された学校は、グランドはバカデカイのですが、プールが無かったものですから、近所の友達と電車に乗って、京王遊園のプールや、多摩川へ泳ぎに行くのでございます。
学校の回りはまだまだ田舎でございまして、林や田んぼ、畑が沢山ありましたので、都会では出来なかったザリガニ獲りや、スズメに罠を仕掛けたり、田舎の遊びを満喫いたしました。
又、自転車のスポークを利用した手製のモリで多摩川に潜って魚を獲ったり、小さなダムから飛び込んで遊んだり・・。w
「チリ~ン・・・チリ~ン」と涼しげな風鈴の音・・。
「ミーン、ミーン、ミーン」と喧しいほどのセミの鳴き声・・
「キンギョ~エ、キンギョ♪」と金魚売りのおじさんの声・・。
「チリン、チリン、チリン」とアイスキャンデー売りのカネの音・・。
日本の夏には夏らしい音がいっぱい聞こえていました・・。
で今は・・? 残念ながら何にも聞こえてきませんネェ・・。
現在の子供達とどっちが素敵な夏の思い出が出来るのかワカリマセンが、昭和30年代の夏が無性に懐かしく思う今日この頃でございます。(笑)
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