1998年10月24日、遂に出発の日となりました・・。
出発の前々日には会社のT田先輩と後輩達が、壮行会をしてくれまして、本当はジジババでも行ける、ただのトレッキングツアーなのですが、エベレスト遠征隊のように盛大な壮行会になってしまいました。(笑)
壮行会には男女10人位が来てくれました。
但し、支払いは私の負担でございましたが・・。w
(60,000円は痛かったナ・・。トホホ)
ノースウェストのダッフルバッグ100LとICIオリジナルバッグが全装備でございます。
歩くときはカメラとお菓子類と水だけですから、小さなバッグだけで良いのでございます。w
私は逸る気持ちを抑えながら、成田空港に向かいました。
空港の中の待ち合わせ場所に行きますと、ツアー参加者が9人とツアーリーダーのO原氏が既に待っておりました。
東京での参加者の説明会に出席された方達とは会っていますが、全国からの参加ですから初めてお会いする方もおります。
参加者の年齢構成は、4人が私よりも年下で、4名が私よりもかなりの大先輩でございます。
30代の女性が2名、30代の男性が2名、60代後半の男性が4名で、ツアーリーダーのO原氏が51才でございました。
このツアーは18日間という長いツアーでございましたので、参加する方はやはりワケ有り組が多いのでございます。(笑)
9日間のツアーにはお年寄りが沢山参加するのですが・・。
60代の先輩方は大学時代は山岳部の出身だそうで、お金と時間には余裕があるけど、そろそろ寿命に余裕が無くなって来た方達でございます。w
しかし、お年寄りだけのツアーはイヤなのだそうです。(笑)
30代の男性二人は明らかにリストラ組でございます。
とにかく寡黙な方達で何も喋らないし、非常に社会や会社に染めない方のようにお見受けいたしました。(笑)
女性のお二人はごく普通の方で、結婚もされ、お子さんもいる方達なのですが、どういう訳か旦那様やご家族の理解があるようで、元々山が大好きな登山愛好家のようでございます。
ツアーリダーのO原氏は、本物の登山家でございまして、本格的なエベレスト遠征隊にも何度か参加したことがあるモノホンのアルピニストでございます。(・∀・)チゴイネ!
ただエベレスト登頂の経験は無いそうで、過去に7,800m級の山が登頂した最高峰だそうです。
現在はフリーで山岳ガイドをしているとのことでした。
(エベレスト山の高さは、1999年のGPSでの調査で8,850mですが、ネパール政府は現在でも8,848mとしています。)
ツアーの日程は、成田からバンコク経由でニューデリーで1泊。
翌日、ネパールのカトマンズ(Kathmandu)に入り、3日目にやっとトレッキングの出発点であるルクラ(Lukla)へ飛行機で移動することになっております。
バンコクに着くと1時間ほど機内で待機なのですが、女性の一人が急に激しい腹痛を起こしまして、バンコクの医者を機内まで呼んで治療を受けるハプニングが起きました。
一時はどうなるかと心配しましたが、どうにかこのままツアーを続ける許可が医者から出まして、インドのニューデリーへと向かったのでございます。
ニューデリーには夜中の10時頃到着しまして、現地のツアー会社が用意したオンボロバスに乗りまして、空港から10分程の宿泊予定のセントラルホテルへと向かったのでございます。
ニューデリーはただ飛行機の都合で寄っただけでございまして、市内観光も無く、翌日はカトマンズに移動したのでございます。
カトマンズでは市内から少し外れで、トリブヴァン空港の近くにあるThe Everest Hotelに滞在したのでございます。
このホテルは5ツ星の高級ホテルでございまして、ディスコやムフフのカジノがあるのでございます。ヽ(´ー`)ノバンザーイ
明日のルクラ行きに備え、私は昼間はのんびりとプールサイドで日光浴をして、夕方から独りで貧乏旅行者の溜まり場であるタメル地区へと見学に出掛けたのでございます。
このタメル地区がカトマンズらしい雰囲気を残した古い町で、バックパッカー達のメッカでもありまして、1泊10$の安宿や怪しい土産物屋が建ち並んでいるのでございます。
私もガスコンロ用のボンベ(中古)を1本買いました。w
私は腹ごしらえをする為に、日本料理屋の「谷藤」に入りまして、ビールを飲みながら野菜炒めとカツ丼を食べまして・・・、今夜の作戦を考えておりました。w
(2時間ほどいたのですが、2回も停電しました。)
作戦とは、もちろんカジノでございます。w
ブラックジャックにしようか、ルーレットにしようかと・・。w
夜の10時頃、私はとりあえず3万円(少なっ!)ほど持ちまして、遂に禁断のカジノのドアを開けたのでございます。w
(絶対に2時間しかやらないと決め、遅く入ったのでございます。w)
もちろん、今回のツアー参加者はもう明日に備えて爆睡している時間でございます。
日本人も私一人だったと思います。
(当時はカトマンズには4軒カジノがありました。)
私は最初、ブラックジャックのテーブルに着いたのですが、テーブルの一番端のプレイヤーが勝敗の要になるのですが、そのお客さんは全くのド素人らしく、自分のカードの事しか考えていないのでございます。
(´Д⊂ モウダメポ
(自分のカードを21に近づけたくてやたらとカードを引く)
ブラックジャックは如何にして親をバーストさせるか、テーブルの客が全員で親に挑まなければ勝てないゲームでございまして、最後のお客さんがカードを1枚引くか、降りるかの駆け引きが大変重要なのでございます。
あっ、思わずカジノの話になって脱線してしまいました・・。w
カジノの話じゃなくて、エベレストツアーのお話でしたね・・。w
と言う事で、ブラックジャックはすぐ止めまして、ルーレットに移ったのでございます。^^)v
その日は大変ツイテいたようで、ホンの30分ほどで1,000$になりましたので、即、勝ち逃げでございます。(笑)
ヽ(´ー`)ノ
(客が少なく、ディーラーとサシの勝負でございました。w)
クソ弱い女性のディーラーは多分相当叱られたでしょう・・。w
明日からのトレッキングの為に、0時には部屋へ戻りまして、勝った勝ったと喜びを噛締めながら寝たのでございます。(笑)
続く・・(多分w)
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