ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

漫画の思い出  花輪和一(17)『護法童子・巻之(一)』(双葉社)

2024-04-14 23:46:58 | 評論

   漫画の思い出

   花輪和一(17)

    『護法童子・巻之(一)』(双葉社)

「旅之五 おんあぼきゃの巻」

「おんあぼきゃ」は辞書に載っていない。

(梵 om amoghaの音訳)密教で唱える光明真言の最初の部分。この呪文は病気平癒を祈り、魔性を払うときに唱える。

(『日本国語大辞典』「おんあぼぎゃ【唵阿謨伽】」)

漫画には梵字らしいものが描かれているが、漢字は記されていない。

「おん」は「密教で、多くの真言の最初に用いる」(『広辞苑』「唵」)という。重要なのは「あ」だろう。「旅之壱 呪文月を巡るの巻」参照。

護法童子は男女一体だ。半陰陽ではなく、性差を超越している。主人公の少年は、〈自分は妹から愛されている〉という妄想を抱く。ただし、彼は護法童子のような境地には達していないから、化け物に魅入られる。罰だ。ただし、この近親姦の罪は、異性愛の困難さの隠喩だ。つまり、〈兄が死んだ妹に愛される〉という物語は〈男が生きている女に愛される〉という物語の裏返しだ。

作者は、本心を隠しているらしい。解釈を始めると、作者の欺瞞と狂気に捲き込まれそうで、嫌な感じがする。

主人公の少年の死んだ妹がオタマジャクシになって兄を守る。兄は、背後から何者かに見守られているような気がする。その正体は最後まで不明。

妹に化けた魔性のザリガニが兄を襲う。このザリガニは毒母の象徴だろうが、そんな解釈は成り立たない。

〈死んだ妹が兄を守る〉という物語と〈魔物が兄を襲う〉というこの二つの物語は表裏一体の関係にある。これらの物語を引き裂くために、護法童子が出現する。護法童子に変身したのは、兄と妹のような二人だ。少年と少女の合体と、二つの物語の分離は、また表裏一体の関係にある。

護法童子は蜥蜴に変身し、偽の妹を強姦し、本物の妹の魂を救う。作者は、〈兄が妹を強姦する〉という物語を道徳的に正当化しているわけだ。ただし、この罪悪の物語は、〈男が女に愛される〉という困難な物語と表裏一体の関係にある。

要するに、滅茶苦茶。

作者は、兄妹姦が母子姦の代用であることを隠蔽している。母子姦が罪だからではない。毒母が恐ろしいからだ。しかし、母子分離以前の母性には執着している。近親の女性との融和を願うと同時に恐れるという矛盾を、護法童子が化け物退治という儀式によって隠蔽するわけだ。

ザリガニの毒母は妹に化けて息子を食い殺そうとする。優しい母は実在せず、優しい女は妹しかいない。なぜ、妹は優しいのか。実在しないからだ。彼が背中を見られたがっているのは優しい母なのだが、そんな母親を空想することは、作者にはできない。だが、死んだ妹なら、化け物でも怖くない。

恐れと憧れが交じり合うと憎しみに変わる。護法童子は、妹に化けた毒母を強姦する。毒父が娘を犯すという儀式によって魔性を払う。毒父が毒母を苦しめているのでもある。

解釈は不能。私には無理。

この作品によって、作者の心理的拘束が緩まる。そして、次の作品から、護法童子はかなり自由に動けるようになる。

(終)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする