(書評)
『学習まんが 北海道とアイヌ民族の歴史』(講談社)
監修 桑原真人 川上淳 漫画 神宮寺一
最上徳内の名前は覚えていたが、何をした人か、忘れていた。いや、もともと、詳しいことを知らなかったのだ。その人のイメージがなくて、最初に日本地図を作った人、あれ、誰だっけ、その人の仲間みたいに思っていた。
アイヌのことを考えたくなかった。なぜ、考えたくないのか。アイヌに関する言葉がややこしいからだ。
この言葉というのは、アイヌ語のことではない。日本語のことだ。
ワードで〈dojin〉と打つと、「ド人」となる。面倒くさい。
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①その土地に生まれ住む人。土着の人。土民。
②未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた。
③土で作った人形。土人形。泥人形。
(『広辞苑』「土人」)
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本来、「土人」に「軽侮」のニュアンスはない。このニュアンスを知るには、「軽侮」の歴史を知らなければならない。自分たちより劣っているように思えるからというだけの理由だけで他人を「軽侮」なんかしないはずだ。何か、別の理由があるから〈異人〉を標的にするのだろう。その別の理由を知らなければ、事態を変えようがない。つまり、「土人」という言葉に「軽侮」の意味が加わる過程を知らねばならない。そのためには「土人」という言葉の使用を禁じてはならない。
差別をしたがる人は、育ちが悪いのだろう。自分を尊んでくれる味方がいない。「敵の敵は味方」という関係でしか、味方が現れない。憐れな人なのだ。
言葉狩りは偽善だ。思想統制を是認する人がやりたがるのならまだしも、表現の自由を唱える連中が「絶対に使ってはいけない言葉がある」などと、とんでもないことを言う。矛盾だ。〈被害者に寄り添うため〉とか何とか理屈を捏ねて他人の自由を制限したがる。そんな自分の選民意識、本物の選民意識ではなく、劣等感の裏返しに過ぎない卑猥な意識を反省できない。博愛に見せかけながら、実は臭いものに蓋なのだ。被害者とその支援者以外の第三者は、静観する忍耐力を保持しなければならない。冷静でないと、真相は解明できない。言論を封殺して安心な社会が実現するものか。むしろ、真相が分かりにくくなって不安が募る。不安を処理できない人は、憂さ晴らしのために、相手構わず、暴言を吐くようになる。誰かに〈クズ〉のレッテルを貼って殴りに行こうか? 落書きみたいに放火する。通りすがりの弱者を刺す。賢い人は頑張って独裁者になる。ちょっとだけ賢い人は独裁者を担いで世界制覇に乗り出す。何のために? 「土人」という名称さえない、正体不明の〈異人〉を撲滅するためだ。
言葉の使用禁止、隠蔽、そして、忘却は、恐怖や不安を拡大し、防衛のための差別感情を過激にする。だからといって、とりあえず造語しても、それは流布するにしたがって別種の差別のニュアンスを帯びるようになる。だから、また造語する。そんな姑息な手段はすぐに見破られ、さらに不安が拡大することになる。
言葉、言葉、言葉。
言葉狩りによる猿轡は暴力による反撃を準備する。やがて、社会の崩壊に至る。
覚悟せよ。
バベルの塔。
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近代日本のアイヌ政策の特質は、アイヌの「日本人」化の強制と「日本人」社会からの排除という二重の差別構造を内在化した同化政策と規定できる。
(『日本大百科全書』「北海道旧土人保護法」竹ヶ原幸朗)
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アイヌを矯正したいのか。あるいは、アイヌと共生したいのか。両方は無理だ。
同化と排除という矛盾は、アイヌにとってのみならず、和人にとっても苦痛になる。なぜなら、〈異人〉を差別したくても、どう差別すればいいのか、分からないからだ。どうすることが差別になるのか、分からなければ、差別を止めることもできない。この「保護法」は、和人を精神的に「保護」できない。むしろ、和人の不安が増す。不安を押し殺そうとして、差別的感情が過剰になる。
矛盾した規則を強制される苦しみから逃れるためなら、体当たり攻撃や自爆テロを敢行したくなったって、おかしくはない。自爆を厭うのなら、自殺するしかない。自殺もできないのなら、気が狂ってしまう。病名なんか、どうでもいい。
日本人のくせに「日本人は劣等民族だ」とか何とか言って青木理が叱られたらしいが、規則の矛盾を指摘して論破できない人々の思考能力は、決して優等ではない。ただし、彼の発言には自嘲が含まれていたのだろう。長年の努力が報われないので悲観し、自他を責めたくなって、彼はそろそろと狂い始めているのかもしれない。そうした推測ができない人は、優等ではない。なお、狂いは恥ではない。生真面目がしくじった結果だ。
仲良く喧嘩しな。
なぜ、権力者は「二重」の命令を発するのか。彼ら自身が混乱しているからでもあるが、「二重」だと権力を維持するのに不都合な人間を罰しやすいからだ。右過ぎるから、罰する。左過ぎるから、罰する。一元的な規則では予想外の事態に対応できず、失脚しかねない。狡いよね。
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差別とその差別に加担する差別語は現代において明らかに「悪」である。
(『日本歴史大事典』「差別語」渡辺友左」)
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「悪」の鉤の、何とまあ嫌らしいこと! そもそも、日本語になっていない。「差別語は」は、〈「差別語」の使用「は」〉が正しい。なぜ、〈使用〉を隠すのか。使用の実態を的確に把握するのが困難であることを隠蔽するためだ。困難でも採決を下すのは独裁者だ。〈使用〉という言葉を明示しない本当の理由は、独裁者の正体を読者に知られたくないからだ。正体って? 〈アカ〉だよ。〈アカ〉は〈「加担」しない「差別語」の使用〉について、人々が考えられないように画策しているわけだ。洗脳だよ。恐怖政治の始まり。こういう文に出会ったら、「軽侮」どころでは済まない。警戒を怠ってはならない。
ところで、征夷大将軍の〈夷〉って何?
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蝦夷の言語は蝦語(いご)と呼ばれ、その交渉に通訳が置かれた。宮城県北部、秋田県域以北の地域にアイヌ語によって解釈できるアイヌ語地名が濃厚に分布することから、この地域の蝦夷の言語はアイヌ語系言語と考えられている。蝦夷にこのような多様な人種・文化・生業の人々を含むのは蝦夷が政治的概念であるゆえである。
(『日本歴史大事典』「えみし【蝦夷】」今泉隆雄)
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ついでだが、与党が「不当な差別」という言葉を用いたら、野党が「あらゆる差別は不当」と反論した。やんなっちゃうよ。
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①差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「―意識」
②区別すること。けじめ。「大小の―がある」
③⇒しゃべつ。
⇒差別化
⇒差別関税
⇒差別語
(『広辞苑』「差別」)
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与党は欺瞞。野党は無知。どっちが頼りになるかな?
〈差別〉の意味を共有できない国民に、不当な差別をなくすこと、せめて減らすことさえ、できっこない。
さらに、蛇足。
高畑淳子が差別的な言葉を使ったそうだが、それがどんな言葉なのか、報道されていない。文脈からあれこれ推測してみたが、分からない。もしかして〈屠殺〉とか? まさかね。おっと。ワードには〈塗擦〉しか出てこないぞ。ふええ!
言葉が足りなければ、賛成も反対もできない。しっかりと考えることができない。考えなしに、善意のつもりで社会問題に口出ししたら、差別語なるものを無邪気に使ってしまって差別者の烙印を捺されかねない。そんな目に会うくらいなら、無知のままでいよう。そう思うのが普通だろう?
勿論、いや、勿論ではないかな、いたずらに語彙を増やしても思考能力は育たない。嫌味な知識人に成り上がるだけだ。「はあ、そこからですか?」ってね。むかつく。
きちんと考えるためには必要な語句を探し当てなければならない。予め自粛用語を拵えてはいけない。偽善者は言葉を制限するから思考能力が育たない。しかも、他人を自分と同様の能の足りないノータリンに育てようとする。偽善者に成り上がれないノータリンは、ノータリンのままでは生きられないから、いらいらして、かっかっして、偽悪者になり、自棄糞になって、暴走してしまうんだよ。その挙句、〈異人〉と呼ばれる。
No Return.No Return.
(終)