2015-05-02の補記
ディーゼルエンジンの製作で有名ないすゞは、自社のガソリンエンジン製作技術がどこまで通用するかということを確かめる ためにP799WEの製作に入った。
当時、F1で採用されていた3.5Lエンジンを製作することとなったが、このエンジンの目的はあくまでテストであり、 F1参戦ではなかった。
また、F1だけでなくグループCカーにも搭載できるように考慮された。
1991年2月に火入れ、ベンチテストが行われた。本来では、このベンチテストで終了する予定だったが、いすゞ技術者の予想を超える出来だったことから、
実際にF1マシンに搭載してテストをすることとなった。
当時、いすゞは乗用車部門でロータス・カーズと関係があったこと、チーム・ロータスに多数の日本企業(タミヤ、コマツ、シオノギなど)
がスポンサーとしてついていたため、容易に接触、交渉する事ができ、8月のテストが決定した。
チー ム・ロータスが1991年で使用した102BはV8エンジンを搭載していた。
しかし、102Bのベースとなった102はV12エンジンを搭載していたた め、P799WEを搭載するための大幅な改造はあまりなかったが、ある程度の改造を要した。
具体的にはエンジンマウントの改造、ベルハウジングの製作、エ ンジンカウルの再製作、ラジエターの大型化だった。
このマシンは「ロータス 102C」と命名された。
7月31日と8月2日にロータス・ カーズのテストコースでシェイクダウンが行われた。
その後、8月6日からシルバーストーンでのテストを開始した。6日は南コースを120km、7日はフル コースを150km走行した。
発電用のオルタネーターを搭載していなかったため、車体に数個のバッテリーを搭載した。
この102Cが記録した最速ラップは 1分30秒であり、同日にテストを行っていたマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナの約6秒遅れだった。
テストから1ヵ月後、ロータスのピーター・コリンズは
「私の経験に基づけば、レーシングエンジン(いすゞ)を1発で始動できたのは初めてだ」
と、いすゞを賞賛する発言をした。
~ウィキペディア~