「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す」。
聖書(箴言12:18)
「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」。
聖書(箴言12:18)
「義なる者の心は答えるために思いを巡らし,、邪悪な者たちの口は悪い事柄をもってほとばしる」。
聖書(箴言15:28)
「正しい者の心は,どう答えるかを思い巡らす。悪者の口は悪を吐き出す」。
聖書(箴言15:28)
「あなたの言葉を良いものにしなさい。そうしてよかったと思うだろう。言葉は死をもたらすこともあれば命をもたらすこともある」。
聖書(箴言18:20,21)
「人は口の結ぶ実によって腹を満たし,唇のもたらすものによって飽き足りる。
死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう」。
聖書(箴言18:20,21)
【話す言葉はなぜ重要ですか】
首相は相手の言葉に丁寧に応対した後,マイクのスイッチが入ったままであることに気づかず,
その年配の女性のことを偏見の強い人と呼び,なぜあんな人に会わせたのかと側近に不満を漏らします。
その断定的な言い方に,国民はあっけに取られます。評判が傷ついたその首相は,八日後の選挙で再選を果たせませんでした。
舌を完璧に制御できる人はいません。
「わたしたちはみな何度もつまずくのです。言葉の点でつまずかない人がいれば,それは完全な人であり,全身を御することができます」。
(ヤコブ 3:2)
それでも,この例からも分かるように,言葉は重要な意味を持ちます。
人の評判,仕事上の成功,対人関係がうまくいくかどうかも,話し方に大きくかかっています。
とはいえ,言葉はそれ以上の意味を持つことをご存じでしたか。
聖書によれば,人の話す言葉は内面を映し出す窓のように,本当のひととなりを明らかにします。
イエスは,「心に満ちあふれているものの中から口は語る」と述べました。
(マタイ 12:34)
言葉には,その人ならではの気持ちや思考や感情が表われます。ですから,自分の話し方の傾向を分析することは重要です。
では聖書はどのように役立つでしょうか。次の点を考えてみてください。
【話し方の習慣を改善するには】
人の考えは言葉となって表われます。話す言葉を改善するには,考え方を改善することが必要です。
神の言葉の勧めを自分に当てはめるなら,思考に影響が及び,それが話し方に表われます。なぜそう言えるか,見てみましょう。
良いもので心を満たす。聖書は何が良いものとなるかを次のように表現しています。
「何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい」。
(フィリピ・ピリピ 4:8)
有益なこの勧めに従うなら,汚れた考えを頭から払いのけることができます。覚えておきたい点として,考えは見たり読んだりするものによって養われ,強まります。
ですから,汚れた良くない考えを避けるには,良くない影響を与えるものを避けることです。それには,暴力的で卑わいな娯楽をきっぱり拒むことが必要です。
「主(神)は,主に従う人と逆らう者を調べ,不法を愛する者を憎む」。
(詩編 11:5)
「あなたがたの間では,聖なる者にふさわしく,みだらなことやいろいろの汚れたこと,あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。
卑わいな言葉や愚かな話,下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも,感謝を表しなさい。すべてみだらな者,汚れた者,また貪欲な者,つまり,偶像礼拝者は,キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい」。
(エペソ・エフェソス 5:3,4)
むしろ,思考を清く健全な事柄に向けてください。聖書はそのための助けになります。
例として,箴言 4章20‐27節,ヤコブ 3章2‐12節をお読みください。
これらの聖句の原則を当てはめるなら話し方が改善されることに気づかれるでしょう。
「我が子よ,わたしの言葉に注意を払え。わたしのことばに耳を傾けよ。それがあなたの目から離れ去ることのないように。それをあなたの心の中に保て。
それは,これを見いだす者たちにとっての命であり,その全身に健康を保たせるものだからである。守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。
命はそこに源を発しているからである。曲がった話し方を自分から取り除き,ねじくれた唇を自分から遠ざけよ。あなたの目はまっすぐ前方を見るべきである。
あなたの輝く目は自分の前をまっすぐ見つめるべきである。あなたの足の行路を平らにせよ。あなたのすべての道が堅く据えられるように。右にも左にも傾いてはならない。あなたの足を悪いことから遠ざけよ」。
(箴言4:20~4:27)
「わたしたちは皆,度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら,それは自分の全身を制御できる完全な人です。
馬を御するには,口にくつわをはめれば,その体全体を意のままに動かすことができます。
また,船を御覧なさい。あのように大きくて,強風に吹きまくられている船も,舵取りは,ごく小さい舵で意のままに操ります。
同じように,舌は小さな器官ですが,大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで,全身を汚し,移り変わる人生を焼き尽くし,自らも地獄の火によって燃やされます。
あらゆる種類の獣や鳥,また這うものや海の生き物は,人間によって制御されていますし,これまでも制御されてきました。
しかし,舌を制御できる人は一人もいません。舌は,疲れを知らない悪で,死をもたらす毒に満ちています。
わたしたちは舌で,父である主(神)を賛美し,また,舌で,神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち,このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から,甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。
わたしの兄弟たち,いちじくの木がオリーブの実を結び,ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません」。
(ヤコブ3:2~3:12)
言葉を注意深く選ぶ。箴言 12章18節にはこうあります。「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし,賢い者たちの舌は人をいやす」。
「突き刺す」かのように,他の人の気持ちを傷つけることが多いということに気づくなら,話す前に意識して考えるとよいでしょう。
箴言 15章28節の優れた勧めを忘れないでください。「義なる者の心は答えるために思いを巡らし,邪悪な者たちの口は悪い事柄をもってほとばしる」。
目標を定めましょう。これから1か月間,腹が立った場合はなおのこと,思いついたことをすぐに言わないよう決意してみてください。
むしろ,この記事に参照されている聖書の言葉を振り返り,愛や知恵のある穏やかな話し方を意識的に心がけてください。
「温和な答えは激しい怒りを遠ざけ,痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす。賢い者たちの舌は知識をもって善を行ない,愚鈍な者たちの口は愚かさをもってほとばしる。
神(ヤハウェ,エホバ)の目はあらゆる場所にあって,悪い者と善い者とを見張っている。舌の穏やかさは命の木であり,そのゆがみは霊を打ち砕く」。
(箴言 15:1~4,23)
ですが,ほかにも必要な事柄があります。
神の助けを求めて祈る。聖書筆者の一人は次のような祈りをささげています。
「どうか,わたしの口の言葉が御旨にかない,心の思いが御前に置かれますように」。
(詩編 19:14)
神に喜んでいただける話し方,また一緒にいる他の人が心地よいと思うような話し方をしたいという願いを神に知らせてください。
箴言 18章20,21節にはこうあります。
「あなたの言葉を良いものにしなさい。そうしてよかったと思うだろう。言葉は死をもたらすこともあれば命をもたらすこともある」。
(箴言18:20,21)
神の言葉という鏡で見る。聖書は鏡のようで,それを用いて自分をつぶさに調べることができます。
「御言葉を聞くだけで行わない者がいれば,その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても,立ち去ると,それがどのようであったか,すぐに忘れてしまいます。
しかし,自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ,これを守る人は,聞いて忘れてしまう人ではなく,行う人です。このような人は,その行いによって幸せになります」。
(ヤコブ 1:23~25)
例えば,聖書の以下の三つの原則について考えながら,こう自問してください。
『わたしの話し方や評判は全般的に言って,この規準にかなっているだろうか』。
「温和な答えは激しい怒りを遠ざけ,痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす」。
(箴言 15:1)
とげのない,温和な話し方をしておられますか。
「腐ったことばをあなた方の口から出さないようにしなさい。むしろ,必要に応じ,どんなことにせよ築き上げるのに良いことばを出して,聞く人たちに恵みとなるようにしなさい」。
(エペソ・エフェソス 4:29)
あなたの語る言葉は周囲の人を元気づけるものですか。
「あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい」。
(コロサイ 4:6)
ぎくしゃくした状況の中でも,相手が受け入れやすい,慈しみのある言葉を語るようにしておられますか。
鏡に映った不備な点を直すなら,周りに好ましい印象を与え,自分も自信を持てます。神の言葉という鏡に照らして自分の話し方を改善する時にも,同様の益にあずかれるのです。
2017-06-30の追記